他人の頭で考える

 Book 1stにてショーペンハウアー『読書について』(光文社古典新訳文庫)、ジャレド・ダイアモンド『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』(草思社文庫)、南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』(岩波新書)、河合隼雄『こころの最終講義』(新潮文庫)を購入。
 

私はなりたくなかった

思わず、本音ポロリ 「法王になりたくなかった」 (www.asahi.com 2013年6月9日10時23分)
 
 「法王にはなりたくなかった」。ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は7日、自らが属するイエズス会系の学校の生徒たちとの交流行事で、思わず本音を漏らした。
 
 交流行事はバチカンであり、法王はスピーチの原稿を用意していたが、「5ページもあって、ちょっと退屈なんです。ぐっと縮めましょう」と、もっぱら質疑応答に時間を割いた。
 
 「法王になりたかったですか」という質問に、法王は「私はなりたくなかった」と打ち明けた。同時に「なりたがる人を、神は祝福しないんです」とも話し、法王に選ばれたコンクラーベでのやりとりを示唆した。
 
 法王宮殿ではなくバチカン内の質素な宿泊施設で暮らしていることについても、「一人は寂しい。みんなと一緒にいたいんです。心の健康のために」と答え、冗談めかしながらも、11億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会トップの孤独な立場をうかがわせた。
 
 また、「なぜイエズス会員になったのですか」という問いには、「布教にあたる宣教師になりたかった。神学生の時、日本かどこかに派遣してくださいとお願いした」と話した。だが、過去に肺を患っていたため、「激務は無理だろう」と聞き入れられなかったという。
 
 フランシスコ法王は、イエズス会出身の初の法王。1980年代に一度訪日したことがある。
 

筆写するバッハ

バッハの新たな自筆譜発見 イタリア作曲家のミサ曲筆写 (www.asahi.com 2013年6月7日5時37分)
 
 ドイツの大作曲家J・S・バッハ(1685〜1750)の研究機関、ライプチヒ・バッハ資料財団は6日、バッハがイタリアの作曲家のミサ曲を書き写した楽譜を新たに発見した、と発表した。
 
 バッハが晩年の1740年、イタリア・ベネチアの作曲家フランチェスコ・ガスパリーニによるカトリックのミサ曲「ミサ・カノニカ」を書き写したものという。バッハは1749年、最高傑作の一つ「ミサ曲ロ短調」を完成させており、これにミサ・カノニカが影響を与えた可能性を示すものとして注目されている。
 
 バッハ研究の第一人者、樋口隆一・明治学院大教授は「バッハが当時、カトリックの大都市ドレスデンで認められる作品を作ろうと、音楽の最先端だったベネチアなどのスタイルを研究していたことを示す新たな傍証だ」と話す。
 

知られざる被葬者の石室

キトラ古墳の石室、最初で最後の公開へ 文化庁、8月に (www.asahi.com 2013年6月6日19時49分)
 
 文化庁は6日、奈良県明日香村の特別史跡キトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)の石室を8月に一般公開することを明らかにした。石室からはぎ取った「白虎」や「玄武」など極彩色の四神壁画はすでに公開しているが、石室は初めて。石室は9月以降、墳丘整備に伴って埋め戻されるため、公開は最初で最後になる。
 
 期間は8月18〜25日の8日間。18枚の石を組み合わせて造られた石室(奥行き約2・4メートル、幅約1・04メートル、高さ約1・24メートル)の外観や墓道部(通路)を、窓ガラス越しに見学できる(石室内部は非公開)。村内の仮設修理施設では、高松塚古墳特別史跡、7世紀末〜8世紀初め)とキトラ古墳の両壁画の一部も公開する。いずれも7月上旬ごろ、1日あたり最大450人程度を募る。無料。
 
 文化庁は2004〜10年、カビなどによる劣化が進んだ四神や十二支像、天文図などの壁画を石室からはぎ取り、仮設修理施設で修理・保管している。修理後の壁画は古墳に戻さず、近くに造る「体験学習館(仮称)」で保存・展示し、墳丘は築造当時の姿に近い2段の円墳に復元する。体験学習館と墳丘の整備は2016年度の完了予定。
 

宗教と政治の緊張関係

 広島大学生協にて小林敏明『西田哲学を開く』(岩波現代文庫)、堀米庸三『正統と異端』(中公文庫)を購入。