退位する法王

ローマ法王、28日に退位「職務継続が難しくなった」(www.asahi.com 2013年02月11日21時42分)
 
 ローマ法王庁バチカン)は11日、第265代ローマ法王ベネディクト16世(85)が28日午後8時をもって退位すると発表した。法王は原則として終身制で、辞任は極めて異例だ。高齢の法王は循環器系の持病があるとされ、自らの意思が鮮明なうちに後継者に責務を託すことを決断したとみられる。
 
 記者会見したバチカンのロンバルディ広報官によると、法王の退位は、この日午前に開かれた枢機卿会議の最後にラテン語で表明された。「職務を続けることが難しくなり、重荷と感じるようになった。退位は教会のためになる」などと語ったという。
 
 生前退位の例としては、1294年のケレティヌス5世、1415年のグレゴリウス12世などがある。
 
 新法王は従来通り選挙(コンクラーベ)で選ばれる。法王退位後すみやかに、バチカン市国のシスティナ礼拝堂で、世界から集まる80歳未満の枢機卿による秘密投票によって行われるとみられる。
 
 ベネディクト16世は高齢による体力の衰えが目立ち、ミサの際の移動に台車を使うことも目立っていた。84歳で亡くなった前法王ヨハネ・パウロ2世がパーキンソン病などで衰え、言葉も発せない状態で晩年を迎えたのを側近として支えた経験がある。
 
 ただ、ベネディクト16世の医師団は11日、ANSA通信に対して「(法王は)リウマチと慢性心房細動を患っている」ものの、現時点では職務遂行には問題ない状態だ、と語ったという。
 
 本名ヨーゼフ・ラツィンガー。1927年4月16日、オーストリアとの国境に近いドイツ南部バイエルン州マルクトル村で生まれた。ナチスの青少年組織「ヒトラー・ユーゲント」に義務的に入っていた時期がある。第2次世界大戦末期は対空砲発射台の補助部隊員で、米軍の戦争捕虜として終戦を迎えた。
 
 ミュンヘン大などで哲学や神学を学び、51年に司祭になった。62〜65年の第2バチカン公会議では若い神学顧問として注目された。独レーゲンスブルク大の副学長から77年には枢機卿に。81年に前法王の故ヨハネ・パウロ2世からバチカン教理省長官に任命され、前法王死去まで務めた。05年4月のコンクラーベで新法王に選ばれた。
 
 教義に関しては、事実婚や中絶、未婚者の性交、神父の妻帯を認めないなど、前法王時代からのきわめて保守的な姿勢を保った。
 
 外国訪問では平和と和解の路線を継承。06年5月のポーランド訪問では、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡を訪れてホロコーストユダヤ人虐殺)の犠牲者への祈りを捧げ、「ドイツ人として、ここに来ることは義務だ」と述べた。
 
 06年11月に訪れたトルコでは、前法王に次いで歴代2人目のモスクを訪問した法王となった。しかし、イスラム圏とは摩擦が目立った。トルコ訪問の2カ月前に独大学で行った神学講義でのイスラム教に関する引用では、イスラム諸国から強い反発を招いた。
 
 また11年1月には、エジプト国内のキリスト教の一派、コプト教徒へのテロを厳しく批判。中東域内のキリスト教徒の安全を懸念したところ、エジプトのイスラムスンニ派最高権威アズハルのトップが「内政干渉」と反発、エジプト政府が駐バチカン大使を召還する事態に至った。
 
 昨年は法王庁内の機密文書が流出する事件が起き、法王の執事だった男が逮捕された。