飛鳥時代のままだった金銅仏

飛鳥大仏、ほぼ飛鳥時代のまま 早大、銅の比率分析 (www.asahi.com 2012年9月25日10時31分)
 
 日本最古の金銅仏とされる飛鳥大仏(奈良県明日香村)は、大部分が飛鳥時代の造立時のものと判断できるとの研究結果を、大橋一章教授(美術史)ら早稲田大学の研究チームがまとめた。これまで、鎌倉時代に火事で壊れ、当初のままなのは顔の一部と右手だけとされてきた。
 
 研究チームは7月、X線複合分析装置を持ち込み、銅の比率など大仏の金属組成を調べた。その結果、飛鳥時代とされる部分と、後世の補修とされる部分には違いがなかった。鋳造専門家も調査にあたり、銅の継ぎ目があることから、複数回に分けて銅を流し込んでいたとみられることがわかり、奈良時代以前の技術と判断したという。
 
 飛鳥大仏は高さ2.75メートル。日本初の仏教寺院・飛鳥寺の本尊として609年に完成したとされる。鎌倉時代の1196年に飛鳥寺は全焼し、約40年後にまとめられた書物には大仏は頭と手しか残らなかったと記されていた。明治以降の研究では、その記録が前提となり、大部分は後の時代の補修で造り直されたと考えられてきた。そのため国宝ではなく、重要文化財にとどまっている。
 
 だが、造り直されたとされてきた衣類の部分は飛鳥時代の様式。火事で残ったごく一部を生かし、造り直すことが可能なのかといった疑問があった。大橋教授は「聖徳太子の時代に造られた日本最古の金銅仏がほぼそのままで残っていたことが確認できた」と話す。