想像を超える箸墓の「謎」

卑弥呼説の箸墓古墳、頂上は石積み 特異な構造 奈良 (www.asahi.com 2012年9月9日17時51分)
 
 邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説もある奈良県桜井市箸墓古墳(3世紀中ごろ〜後半、全長約280メートル)の後円部頂上部分が、全面に石を厚く積んだ特異な構造だとわかった。同古墳を管理する宮内庁がこれまで公開していなかった発掘調査の記録を朝日新聞が情報公開請求で入手し、判明した。
 
 公開された文書は、築造当初の古墳の姿を確認するため、1968年に同庁が前方部と後円部の頂上付近で実施した発掘調査と、71年、74年の追加調査の記録と写真。写真に写った後円部最上段は、全面がこぶし大の丸石に覆われていた。写真を見た複数の専門家が、最上段は大量の石を積み重ねて築かれていると推定。ほかの古墳には見られない構造だという。
 
 宮内庁は同古墳を皇族の墓に指定して立ち入りを厳しく制限している。76年に「書陵部紀要」で同古墳で出土した土器を報告したが、詳細な発掘の記録や現場の写真は公開していなかった。古墳の測量図は公表されていたが、墳丘の構造はほとんど不明のままで、今後は過去の調査成果の公表や新たな調査を求める声が高まりそうだ。
 
 箸墓古墳は全長200メートルを超える巨大古墳としては最も古く、全国の前方後円墳のモデルとなったと考えられている。近年の研究で造られた時期が3世紀中ごろまでさかのぼる可能性が指摘され、中国の歴史書魏志倭人伝」に248年ごろ亡くなったと記されている邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とみる研究者も多い。
 
■石の山、だれのため
 
 最古の「大王」の墓とされる箸墓古墳奈良県桜井市)の、びっしりと石に覆われた頂上部。朝日新聞の請求で宮内庁が情報公開した写真に写っていたのは、考古学者の想像を超える特異な姿だった。この「石の山」を築いたのは、どんな人々だったのか。
 
 「卑弥呼の墓」との説もある同古墳は、多くの考古学者の注目を集めてきた。奈良県橿原考古学研究所付属博物館の今尾文昭・学芸課長は「箸墓古墳で出土した土器は宮内庁の『書陵部紀要』に紹介されていたが、それが同庁による発掘調査での発見だったことが、今回の公開資料で初めて分かった。墳丘頂上部の写真も、これまで見たことがなかった」と話す。
 
 宮内庁の管轄外になっている同古墳の濠などを発掘した桜井市纒向学研究センターの寺沢薫所長は「最上段は石だけを積み上げて造られている」と推測。埋葬施設はその下に未盗掘で残っている可能性が高いとみる。一方、「土で築いた墳丘を石で厚く覆ったのでは」(和田晴吾・立命館大教授)との見方もある。
 
 香川、徳島、兵庫(播磨)など瀬戸内東部地域では、3〜4世紀に土ではなく石を積んだ「積石塚」と呼ばれる古墳が多く築かれる。箸墓古墳の石積みとの関係が議論になりそうだ。
 
 写真などの調査記録を公表していなかったことについて、宮内庁の福尾正彦・陵墓調査官は「詳細な図面もなく、中途半端に公表すればかえって混乱を招く恐れもあった。今後の調査成果と合わせて報告を検討したい」と話す。同庁によるさらなる調査にも注目が集まる。