加藤陽子 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

――政治は大衆のいるところで始まる。数千人がいるところでなく、数百万人がいるところで、つまり本当の政治が始まるところで始まる。
 
 「戦争から見る近代の面白さ」というテーマのもと、著者はレーニンのこの言葉を掲げ、「巨大な数の人が死んだ後には、国家には新たな社会契約、すなわち広い意味での憲法が必要となる」という、リンカーンゲティスバーグ演説の意味に注意を促す。
 クラウゼヴィッツによる古典的な定義によれば、戦争とは「政治的手段とは異なる手段をもって継続される政治にほかならない」。その意味で、日本の近代化も例外に漏れず「総力戦を戦える国家づくり」であったと言えるだろう。
 
 本書は日清戦争から太平洋戦争まで、日本の近現代史における戦争の歴史を大きく5章に分け、「侵略・被侵略」といった二分法では見えてこない「戦争の論理」を詳らかにしていこうというもの。中高生対象の講義録ということもあり、網羅的な内容というよりも、歴史を読み解くセンスの「磨き方」に重点が置かれている。福澤諭吉の「脱亜論」の読み方、三国干渉と普通選挙運動への期待、日露戦争における「本質的な新しさ」、第一次世界大戦後に噴出した「国家改造運動」に隠された日本の苦悩と危機感などはその一例だ。パリ講和会議後の「松岡洋右の手紙」「近衛文麿の憤慨」なども面白い。
 
 満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争へと至る過程では、斉藤実首相が33年2月8日、天皇のところに駆け込み、熱河作戦の閣議決定と、天皇の裁可の取り消しを求めるシーンが印象的。ほかに、「日本切腹、中国介錯論」で知られる外交官・胡適や、「無産階級と国防問題」をものした水野廣徳らが紹介されている。