いい本と出会う最高の時代

 筒井康隆朝日新聞の読書面で連載した『漂流――本から本へ』が単行本(朝日新聞出版)にまとまり、これを記念して同氏と大江健三郎丸谷才一の3人による鼎談「読書について」が行われた。

鼎談・読書について 筒井康隆×丸谷才一×大江健三郎 (www.asahi.com 2011年2月2日)
 
■面白い本を飛び石伝いに 筒井
 
 大江 僕は『漂流』推薦の言葉に「面白ヒトスジの大読書家」と書きました。筒井さんは子どもの時から面白い本をつかまえる名人で、つかまえたら正面から熱中する。自分に根を下ろすよう大切にする。その後、一つ一つが書かれるものの柱になります。最初は俳優になりたかったのが、ある時から小説家の自分を自覚する。その方向に読み進む過程が、あざやかなドラマですね。
 
 丸谷 読書に対するエネルギーに圧倒されるね。僕なんかとてもこれほどの情熱を込めていない。読書力もすごいが表現力、つまりその本が面白いということを語る技術もうまい。日本人の読書意欲をそそることにずいぶん貢献してる。
 
 筒井 大江さんが「面白ヒトスジ」とおっしゃるのは、その通り。僕は勉強や教養のために読んだことはありません。カントは大学の授業のため仕方なく、また、芝居のためにフロイトが役に立つとは思いましたが、それにしても面白くなければ読んでいないわけで、面白い本を飛び石伝いに読んでいたというだけなんです。
 
 大江 丸谷さんと筒井さんの本への批評には、共通点がある。しかも、その共通点において大いに違っていると思います。
 
 丸谷、筒井 ほぅ。
 
 大江 二人とも堂々とほめるんです。ほめ言葉が大げさなくらい丸谷さんはほめる尺度が歴史的、世界的で、たとえば井上ひさしを「黙阿弥以来、黙阿弥を超えた最大の劇作家」。言われてみるとそうだと思うけど、つい黙阿弥に遠慮する。筒井さんは壮大な例は引かない。代わりにハチャメチャ的なほめ方。新聞にふつう載らない桁外れの言葉を押し出す。でも二人とも声がよく通り、客席の隅ずみに達する。違う個性で並び立つ、説得的な批評家。
 
 丸谷 比較と分析、この二つをする批評は面白い。単にほめたりけなしたりするのはつまらない。だから僕は、つい「黙阿弥よりも〜」となるんです(笑い)。
 
 筒井 井上ひさしの名が出ると、「同時代」ということを考えますね。『漂流』の最初は「のらくろ」ですが、ずいぶん後で、作者の田河水泡小林秀雄が義兄弟と知りました。漫画の第一人者と批評の第一人者が同時代で。現代でいうと、大江さんと伊丹十三さん、小説と映画の第一人者が義兄弟です。同時代の大江さん、丸谷さん、井上さん……。そういう先輩たちがいなかったら、いまの私はありません。不思議だなあと思って、一人で感動するんです。
 
 大江 われわれの「同時代」がどのように文学史の上で特異か。その上でどんな文学を生んでいるか、それは丸谷さんが『星のあひびき』で指摘しています。昭和にいいところがあったとすれば、『源氏物語』に最も華やかな光を投げかけた時代だった。同時に、戦争と革命の20世紀の文学の世界的特徴は「モダニズム」。われわれはみな、モダニズムの文学をつくろうとしてきた。
 
 筒井 大江さんは自分を四国の田舎の出身と言われますが、どこの出身であろうとモダニズムの作家に間違いないですよ。
 
 丸谷 ラテンアメリカの作家たちがモダニズム文学の影響から出てきたのと近いですね。
 
 大江 井上ひさしのお別れの会の時、弔辞で丸谷さんが、大きな見取り図をさっと描かれた。平野謙が言った「三派鼎立」に見立てて、井上さんはプロレタリア文学の血をひく劇作家、村上春樹は世界に通じるロマンス作家、大江はモダニスト私小説家、と。確かに僕はモダンであろうとして私小説を書く。
 
 筒井 僕は大江さんを私小説の作家だとは思いませんよ。『同時代ゲーム』を読んだ時、これを私小説と受け取ってはとんでもないぞ、いつでもモダニズムにすり替わっていく、という衝撃は大きくて、いまだに抜け切れません。
 
 丸谷 「失敗作であることさえ度外視すれば傑作」というあの批評、面白いね。文学作品の魅力という一筋縄ではとらえられないものを、上手に言っている。
 
■良書と出会う最高の時代 大江
 
 大江 書評の専門家は世界にいる。それを日本でいうなら、丸谷さんではないか。ある分野の専門家が、その分野の本を書評して面白いものになるとは限らない。丸谷さんはジョイスや源氏の専門家ですが、その関係を批評する時は、むしろ書評の専門家として技をこらしている。
 
 丸谷 若い頃、イギリスの書評は日本と違って面白いことに、大変な衝撃を受けたんです。日本にもイギリス型書評の文化をつくりたいと、青春の意欲を傾け、われながらあきれるくらいの情熱を注いできましたね。
 
 筒井 イギリスの書評家たちは文学以外にも万巻の書を読んで、基盤が違いますからね。丸谷さんも、そうです。
 
 われわれが幸せだったと思うのは、文学以外でも何かを追っかけることができる時代だった。演劇にしたって、新劇で大きな劇団は四つしかない。あちこちのジャンルの地平を見定められた。いまはあらゆるジャンルでいろんなことが起こってわけがわかりません。
 
 丸谷 文芸雑誌も文庫も少ないし、文学全集も三つだったかな。それだけ読んでいれば一応を読み取れる。選択の幅は狭かったが、えりすぐりのものを読めた。
 
 大江 『漂流』でうらやましいのは、本の絶対数が少なかった時代に、筒井さんはふつうの知的家庭の水準より、ずっと恵まれた環境で育ったお子さんですよ。お父さんが文学全集や劇全集をいくつも持ち、親類の家にも本がたくさんあるんですから。
 
 そこで今はどうか。毎月、文庫本の棚を見に行くと、岩波現代文庫講談社学術文庫など、読書経験の豊富な編集者の優れた選択で、この50年の日本でどんないい本が出ていたかわかり、目を洗われます。本を読む人間にとって、いい本と出会う最高の時代ではないかと思います。
 
 丸谷 同感です。我々が子どもの頃、読むに値する本は本当に少なかった。最近の出版文化論は「本が売れない」という話ばかりで愚の骨頂。昔、吉行淳之介は文学がわかる人がそんなにいるわけないから売れないと悲しむ必要ないとよく言ってた。本なんて、そんなに売れるものじゃないんだ(笑い)。
 
 筒井 その通り。戦後すぐは、子どもが読めそうな本を古いものでも手当たり次第に探したりしたんです。
 
 丸谷 いまはいいよ。翻訳読んで意味がわかるんだもの(笑い)。昔は訳が悪かったからねえ。
 
 筒井 しかし、わかりにくいほうが重みがあったような気もするからおかしいですね。
 
 大江 僕は新制中学から高校まで、5冊、本を読むと、次はこの本より難しいものを読むぞ、と思いこんで読み続けて、実は今でも地獄から抜け出せません(笑い)。筒井さんはつねに解放されていた人です。丸谷さんは旧制高校出身で、語学に取り組む努力と読書の喜びが結びついていた世代じゃありませんか。
 
 丸谷 語学を学ぶ喜びは感じたことないな(笑い)。そもそも本を読むのに「努力」する習癖がない。面白がるのが流儀だから「必読書」といわれるだけで嫌気がさす。昔、アメリカ文学をやる人間はパリントンのアメリカ文学史を必ず読めといわれていて、それが嫌で読まなかった。何十年もたって、必要が生じて読みましたが、これはやはり若い頃に読んどいた方がよかった(笑い)。
 
■本には他の本読ませる力 丸谷
 
 丸谷 本を読みすぎるのはよくないね。国語学者大野晋さんは大読書家なのに、「考えるぶんだけ頭を空けておかなくてはならない。だからほどほどにしか読んではいけない」と言っていた。ぼくはそれを聞いて、今日はヒマだから本を読もう、ではなく、ヒマだから考えようとするように努めていますが、考えるのにくたびれてつい読んじゃう(笑い)。
 
 大江 大野さんの「ほどほど」はものすごい水準でしょう。お二人は、この本、この読書家に影響を受けたというのがありますか。
 
 丸谷 私は「新古今和歌集」でしょうね。姉の本に、古事記から江戸文学までが一冊になったアンソロジーがあった。(旧制)中学2年で通読して、注釈がほんのすこししかついてないから全然わからなかったけど、そのなかで「新古今が一番すごい」と思った。英文科に入って日本語の本を読まないようにしていたが、大学を出て数年後、岩波の『日本古典文学大系』を買って夢中になって「新古今」を読んだ。えらく心に染みとおりましたね。それで後に『後鳥羽院』を書いたんです。とにかく日本文学は「新古今」。あれが絶頂。
 
 筒井 お二人の話を聞いていると「俺がこんな本を書くのはおこがましい」と思ってしまいます(笑い)。『漂流』を書くとき、古い本を引っ張り出して読み返しました。「自分が影響を受けたのはヘミングウェーとカフカだ」と常々言ってきましたが、実はほかにも影響をいっぱい受けていることがわかった。三島由紀夫セリーヌノーマン・メイラーも。それで、この言い回しは知っている、ここで読んだんだ、でも自分は使わなかったなと思うことがたくさんありました。読者には難しいと思ったからなんですね。歌舞伎から出た言葉なんかで古語辞典に載っていないのもあります。いま長編小説を書いていまして、そういう言葉を、意味が通らなくてもいい、ゆがんでてもいい、入れていったら残るんじゃないかと思い、いろいろ試みているんです。
 
 丸谷 個性的だよね、影響の受け方が。普通はもっと紋切り型に受けるものですよ。ジョイスの読書術が筒井康隆風です。ジョイスギリシャ・ローマの古典を読みに読むことでああいうモダニズム小説を書いたんです。『ユリシーズ』が『オデッセイ』を下敷きにしたというレベルじゃなくね。
 
 大江 そう。読み方、影響の受け方が個性的。そして二人とも、作品の作り方が超・個性的。
 
 丸谷 本というのは、おのずから他の本を読ませる力があるものなんです。ある本が孤立してあるのではなく、本の世界の中にあるのだから、感動すればごく自然に、他の本に手が出る仕組みになっているんだ。
 
 大江 その言葉はそっくり削らずに、新聞に載せてほしいですね。