大江健三郎 『みずから我が涙をぬぐいたまう日』

 1968年に「楯の会」を結成、前後して『文化防衛論』などを著し、2年後の70年11月25日に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にて割腹自殺を遂げた三島由紀夫には、ある種「右翼作家」のレッテルが濃厚につきまとっている。半面、『中央公論』60年12月号に発表された深沢七郎『風流夢譚』ゲラを掲載前に読んだ三島は、「『憂国』と併載して毒を相殺してはどうか」と編集部・井出孫六に進言(井上『三島由紀夫 幻の遺作を読む』p.155)するなど、鋭敏なバランス感覚に優れた表現者でもあった(このことが後に「同作品を推薦したのは三島だ」と誤解され、右翼からの脅迫に晒されることになる)。
 
 その三島は『宴のあと』顛末により、文壇的にノーベル賞争いから脱落。68年に川端康成が受賞した際に、記者に向かって「(次にノーベル賞を獲るのは)大江君だ」と予言したのは有名な話である。端正な三島、グロテスク・リアリズムの大江と、思想的にも、文体面においてもおよそ両極に位置するかのように見える両者ではあるが、その衝撃的な三島の死から1年を経て、雑誌「群像」11月号に発表されたのが本書『みずから我が涙をぬぐいたまう日』だ。
 
 
 かれは、みずからも数知れぬ銃撃をうけているあの人が、片腕には軍刀を振りかざし片腕は、背後から撃たれて瀕死のかれを抱きとめるためにひろげて待つ、銀行入口の石段にむかって、腰のゴボー剣をガチガチ鳴らしながら這いずってゆく。かれの眼は自分の血と涙とにふさがれて、すでになにひとつ現実の事物を見ることはできないが、紫色のオーロラにかざられた巨大な菊の花は、かれの閉ざした眼の中の暗黒を、かつて見たいかなる光よりも明るく輝かせている。
 (『みずから我が涙をぬぐいたまう日』)
 
 
 この時代における大江は「核時代の想像力」、すなわち終末論的=黙示録的世界観に基づく実験的、先鋭的作品を矢継ぎ早に上梓することになる。旧約聖書「ヨナ書」から題名が取られた73年発表の『洪水はわが魂に及び』は、その集大成とも言うべき長編小説だが、それに先立ち、あの『セブンティーン』第二部「政治少年死す」から10年を経て、超越者なき「戦後」という時代を鋭く描いて見せた『みずから我が涙を…』のタイトルもまた神学的(バッハの独唱カンタータ BMV56「Ich will den Kreuzstab gerne tragen」の"Da wischt mir die Tränen mein Heiland selbst ab."より)イメージが込められている。そして、われわれ日本人にとって、人類の救済をめぐる「神」とはまさしく「神格天皇」の記憶にほかならない。1970年とは、まさにそういう時代だったのだ。「きみの純粋天皇のテーゼは、お気の毒にも、きみの終生のテーゼとなったようじゃないのか?
 
 「三島由紀夫の死の強烈なインパクトのもとに、それに対する文学的アンチテーゼとして意図された」(野口武彦「解説」より)本作品における「純粋天皇」テーゼ、「いったい、おまえは、なんだ、なんだ、なんだ!」とすべての同時代人に向けて突きつける問い。「私兵の軍服をまとった」あの人ならば、この作品群をいかに読み解いただろうか――およそ想像することさえ許さない、恐るべき破綻と狂おしいまでの喜劇に満ちた中編小説集である。