ロバート・イーグルストン 『ポストモダニズムとホロコーストの否定』

 本書は「Postmodern Encounters」(ポストモダンの出会い)シリーズの1冊として2001年に刊行されたRobert Eaglestone 'Postmodernism and Holocaust Denial' の翻訳である。2000年春に起こったアーヴィング裁判をテーマに、「ホロコースト否定論」(否認主義、いわゆる歴史修正主義)への「徹底抗戦」を展開した書物であるのだが、本書の構成はいささか込み入っている。というのも、著者が分析手法として採用するポストモダニズムという「文化相対主義」こそが「死の収容所で極限に達した」思想であり、「ホロコースト否定論は、この現象の一部である」と糾弾されつつある誤解を正すために、ポストモダンの手法を用いて否認主義を無化しようという試みがなされているからである。
 
 「歴史はつねに、ある世界観から見た歴史なのである。ポストモダニストは、主としてこのために、『純粋な』、『中立的な』、あるいは『客観的な』歴史学などありえないと主張する」(p.37)
 
 しかし、これは、歴史の著作が「でっち上げられた」ものであるということではない。歴史家は、ヘイドン・ホワイトに倣うなら「自分の物語を『プロットに編成する』」のであり、このプロット編成と「語り」が「ジャンルとしての歴史」を構成しているのである。その意味で「ホロコースト否定論は欠陥のある歴史ではない。それはどんな種類の歴史でもまったくなく、歴史であるかのように論じることなど断じてできないのだ」(p.63)という結論へと導いていく。邦訳『ブラック・アトランティック』で知られる現代思想ポール・ギルロイの一節、「誰かがユダヤ人を罵倒しているのを耳にしたら、注意を払いなさい。なぜなら、その人物はあなたについて語っているのだから」という指摘は、われわれ日本人も衝撃をもって受け止めるべきだろう。
 
 なお、社会言語学者一橋大学教授のイ・ヨンスクによる解説「マジョリティの『開き直り』に抗するために」が素晴らしい。「否定論が批判されるべきであるのは、単に過去の暴力を隠蔽しているからではない。それらの言表行為全体が、現在において暴力を発動させているからなのである」(p.93)、「否定論者は『犠牲者の発話の権威』に反発しているのであり、マイノリティからの異議申し立ての声を抑圧しようとしているのである」(p.99)という分析は、否認主義の「根源にあるもの」を極めて明瞭に浮かび上がらせている。