同じ意見を持たなければならないのなら

武者小路実篤、戦争支持派とは一線 魯迅弟へ手紙で本音 (www.asahi.com 2010年1月4日3時2分)
 
 小説「友情」などで知られる作家の武者小路実篤(1885〜1976)が、中国人作家の魯迅の弟にあてた手紙の実物がみつかった。44年ごろのもので、第2次世界大戦中は戦争に協力的だったとされる実篤が、戦争末期には国策追従の文学者から一定の距離を持っていた様子が読み取れる。
 
 手紙は、魯迅の弟で文学者の周作人(1885〜1967)にあてたもの。周と、戦争支持派の作家片岡鉄兵との論争を仲裁する目的で書かれた。論争のきっかけは、43年8月に開かれた国策に協力する文学者の会議。知日派とされる周は参加せず、そんな周を片岡は国策に非協力的だと非難していた。
 
 手紙はペン書きで、原稿用紙5枚にしたためられている。封筒には筆で「周作人兄 武者小路実篤」と記されている。実篤は開戦時、戦争を賛美する文章を発表するなど、戦争に協力する姿勢を示していた。だが「皆も今更に君の存在の大きさを知った」と周に敬意を払い、国策協力一辺倒の片岡の発言には、「根拠のない発言」「場あたり的なものだ」と否定的。会議を開いた日本文学報国会についても「皆が同じ意見を持たなければならないのでしたら、僕はとっくに退会しています」と書き、戦争協力を強いられた時代に、周に共感して本音を漏らしている。最後に「君の三十余年の友情を感謝して」と添えている。
 
 手紙は香港在住の作家鮑耀明(パオ・ヤオミン)さん(89)が周から61年に譲り受けたが、最近まで行方が分からなかった。70年代前半に鮑さんから写しをもらっていた中国文学者の木山英雄・一橋大名誉教授は78年に著作で紹介、04年の改訂版「周作人『対日協力』の顛末」にも掲載された。ただ周の視点からの分析が主だったため、実篤の戦争に対する姿勢までは詳しく言及されていない。87年から刊行された「武者小路実篤全集」(小学館)にも収録されておらず、広く知られないままになっていた。
(後略)

 「43年8月に開かれた国策に協力する文学者の会議」とは、「第2回大東亜文学者会議」(いわゆる「決戦会議」)を指す。「戦争支持派とは一線」と題してしまうと、実篤が(敗戦後、一時断筆状態にまで陥ったとされる吉川英治など一部の作家は別として)同時代の作家とは異なり、あたかも世界情勢が見えていたかのような印象を受けてしまうが、話は果たしてそれほど単純なものであったか?
 
 見出しで周作人を「魯迅弟」と表記する新聞社のセンスにも驚かされるが、木山英雄『周作人「対日協力」の顛末』が刊行5年余にしてすでに品切れとなっている一方で、半世紀以上前の“白樺派”「作家の行動」が今なお再解釈されねばならないという驚嘆すべき事実がそこにはある。