内田樹 『日本辺境論』

 「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、何となく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなものだ」
 内田樹は、およそ半世紀前に梅棹忠夫が『文明の生態史観』の中で展開した“日本文化”論の一節を引きながら、この状況は21世紀を経た今日に至るまで少しも変わることがなく、それどころか、むしろ日本文化論に「決定版」を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが「日本人の宿命」なのだと断じている。
 
 「日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、『日本文化とは何か』というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません」(p.23)
 
 華夷秩序コスモロジーの中にあって、古代以来「辺境民」としての自意識を内面化する一方で、その「コスモロジカルな劣位」を逆手にとることにより、日本人は他の民族がなしえなかったような歴史的成功を幾度も手中に収めてきた。一つは明治維新として、一つは戦後の高度経済成長として。
 半面、第一次大戦後に「五大国」の一国として「中華思想」の衣を身に纏うとき、日本人は本質的な脆弱さを世界中に露呈しないではいられない。その例に挙げられるのが、ヴェルサイユ講和会議における西園寺公望の失態だ。人種や信教や言語や文化を超えるような汎通性を持つような「大きな物語」を語る段になると、日本人はぱたりと思考停止に陥る。「世界はこれからこのようなものであるべきだ」という強い指南力を持ったメッセージを発信することができないのだ。
 
 新渡戸稲造鈴木大拙から丸山眞男川島武宜まで、あるいはカント、ヘーゲルハイデガーからラカンレヴィ=ストロースまで、さまざまな思想家を紹介しつつ、教育、宗教、武道にまで縦横に論じつつ日本文化の根源に迫る内田の筆は相変わらず刺激的だ。幕末の国粋主義者、佐藤忠光満が「『日本』という国名はわが国の属国性をはしなくもあらわにする国辱的呼称であるから、これを捨てるべき」と主張した話などは興味深かった。また、最終章の「辺境人は日本語と共に」では、水村美苗の『日本語が亡びるとき』を思わず想起せずにはいられなかった。
 
 水村はアメリカ帝国主義の翳に怯え、「エリート主義」の復活を提言するなど、水村の論旨の筋道は内田とはおよそ真逆に位置するものだが、「もし、日本語が『亡びる』運命にあるとすれば、私たちにできることは、その過程を正視することしかない。/自分が死にゆくのを正視できるのが、人間の精神の証しであるように」という末尾の文章と、内田の「(『進化の袋小路』をこのまま歩み続けるという)孤独な営為ではありますけれど、それが『余人を以ては代え難い』仕事であるなら、日本人はそれをおのれの召命として粛然と引き受けるべきではないかと私は思います」という諦念の結末はあまりにも似ている。それは、「日本文化」論の「終わりなき問いかけ」をいみじくも暴露してしまったことに対する、著者なりの誠実な“バツの悪さ”の表明なのかもしれない。こうして、日本文化論はまたしても「振り出し」に戻るのである。