野矢茂樹 『哲学の謎』

 今を遡ること13年前の1996年1月に上梓された本だが、池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』を読み終わった後でページを開くと、理解しやすいかもしれない。眼の前に満ちていながら、なおかつ不可視な哲学の「謎」――。これを解き明かすべく、「私」と「私」の対話スタイルで物語は進行する(会話文自体はどこかぎこちない)。
 「意識・実在・他者」――これはまさに哲学であり、脳科学の世界のようでもある。ただし脳科学の世界に「再帰性の罠」が潜んでいるように、哲学にも深刻なパラドックスが潜んでいる。著者がまずはじめに紹介するのは、(池谷『単純な脳…』でも登場する)ラッセルの「五分前世界創造仮説」である。
 
 ――現在および未来において起こるいかなることも、世界が五分前に始まったという仮説を反証しえない。…ラッセルの懐疑を疑う視点をわれわれはもっていない
 
 「この懐疑を拒否し、しかも懐疑ぎりぎりのところまで踏み出す」ことは可能なのか。
 
 ともあれ、本書を読むと、現代哲学が「言葉」の問題であることを改めて痛感させられる。「記憶と過去」「時の流れ」「経験と知」、さらには最終章の「自由」まで、9つの章立てで構成されているが、いずれもどこかの哲学(解説)書で眼にしたことのある議論が繰り広げられていながら、(ラッセル、あるいはアインシュタインの例を除き)どんな思想家や哲学書の引用も(あるいは哲学プロパーの用語も)、さらには登場人物たちの会話を超えた会話(メタ言語)も登場しない。
 
 すべてが「虚構」の裡に終わってしまうことを恐れずに、ただ言葉による思索の道筋だけで描ききった「哲学の『謎』」を楽しむことができる。