北朝鮮が核実験

北朝鮮「地下核実験に成功」 06年10月以来2度目 (www.asahi.com 2009年5月25日13時36分)
 
 北朝鮮は25日午前、「自衛的核抑止力を強化するための措置の一環として、25日に地下核実験を成功裏に実施した」と発表した。朝鮮中央通信が伝えた。北朝鮮による核実験は、06年10月9日に北東部の咸鏡北道(ハムギョンブクト)吉州郡(キルジュグン)豊渓里(プンゲリ)の地下で実施して以来。韓国政府は25日午前に緊急の国家安全保障会議を招集し、対応に乗り出した。北朝鮮の2回目の核実験実施により、朝鮮半島の緊張がさらに高まるのは必至。
 
 経済的に困窮し、最高指導者の金正日総書記の健康不安を抱える北朝鮮は、オバマ米政権との直接対話を求めてきた。4月5日には長距離弾道ミサイルを発射したが、国際社会での孤立感は強まる一方で、核実験という最も強硬な対応に踏み切った。
 北朝鮮は今回の核実験について「新たな高い段階で安全に実施した」と説明。「今回の核実験の成功は、我が軍隊と人民を大きく鼓舞する。国と民族の自主権と社会主義を守り、朝鮮半島と周辺地域の平和と安全保障に貢献することになる」と主張した。
(略) 
 6者協議を通じて08年6月に申告した北朝鮮の核計画によると、同国は兵器用のプルトニウムを計38キロ生産。このうち、26キロを核兵器化した。北朝鮮の技術水準では核兵器1個に4〜8キロのプルトニウムが必要とされる。
 北朝鮮の外務省報道官は4月14日、国連安全保障理事会弾道ミサイルの発射を非難する議長声明を全会一致で採択したことを受け、核問題をめぐる6者協議からの脱退とともに「自衛的核抑止力の強化」を進めると宣言した。
 さらに安保理の制裁委員会が北朝鮮の3団体を資産凍結の対象に指定すると、外務省報道官は同月29日に「安保理が即時謝罪しなければ、核実験や大陸間弾道ミサイルの発射実験を含む追加的な自衛措置をとる」との声明を出し、一連の動きの中で初めて核実験の実施に言及していた。
 

 2003年8月、北京で第1回6者協議が開かれた。これは北朝鮮が同年1月に核不拡散条約(NPT)を脱退したことを受けたものだったが、船橋洋一は、このときロシアのアレクサンドル・ロシュコフ外務次官が「北朝鮮は狂っている」と呟き、その発言がマイクを通じて会議場に流れたと言及している。
 北朝鮮は05年9月、核放棄を盛り込んだ共同声明に合意しながら(第4回6者協議 第2フェーズ)、翌06年10月9日、同国初の核実験成功を宣言。国連安保理は決議1718(「北朝鮮核実験実施に対する国連制裁決議」)を採択するが、北朝鮮はこれを即時拒否した。
 
 朝日新聞25日付夕刊一面記事によると、06年10月の核実験強行は、「結果として、かつてないほど冷え込んでいたブッシュ前米政権との関係を改善させる決定的な契機」となった。今回の実験も「オバマ米政権を動かす狙いがあるのは間違いないが、北朝鮮が危険なカードを繰り出す間隔は確実に狭まっている」。