ピエール・クロソウスキー 『かくも不吉な欲望』

1 ニーチェの『悦ばしき知識』の基本的テーマについて
2 ジッドとデュ・ボスと魔神
3 クローデルとジッドの往復書簡の余白に
4 バルベイ・ドールヴィイ著『妻帯司祭』への序文
5 ジョルジュ・バタイユのミサ
6 言語と沈黙とコミュニスム
7 モーリス・ブランショ
8 ニーチェ多神教とパロディ
 
   光に対する みじめな者どもの
   かくも不吉な欲望は何なのか?
     (ヴェルギリウスアエネーイス』第六巻)
 
 
 手許にある現代思潮社刊のハードカバーは1988年7月25日(第5刷)。カバー絵のクレジットが欠落しているのは編集のミスだろう。訳者・小島俊明の解説によると、ヴェルギリウスの詩句にある「光に対する欲望」とは「地上の生命への欲望」を意味しているという。この書物にはニーチェやジッド、クローデルバタイユブランショという、いわば19世紀末から20世紀半ばまで西欧の知の世界を席巻した一群をめぐる批評が横溢している。原著は1963年にガリマール社から出版され、88年当時、ミシェル・フーコーはすでにエイズによりこの世を去っていたが、クロソウスキーはまだ存命していた。これらの批評集を通読する気力は今のぼくにはないが、それにしても任意に開いたページの行間からは、知性のアイディアが熱情のように迸り出ている。このような書物が改めて文庫化され、21世紀の日本で再び上梓されるという事実に、何よりも驚かされてしまう。