丸谷才一+鹿島茂+三浦雅士 『文学全集を立ちあげる』

 ――文学的キャノンとは何か?
 丸谷才一は冒頭、キリスト教において公認された聖典(holy text)を意味するcanon(正典)をもじり、時の権威者によって偉大な文学作品であると価値を認められた『文学的キャノン(literary canon)』形成について語り、ハロルド・ブルーム『西洋のキャノン』を紹介する。
 
 知識人が必ず読んでいなければならない、あるいは読んだふりをしなければならない文学作品群。しかし、そのキャノン形成(特権化)はその出自においてあらかじめ「制度的、あるいはイデオロギー的制約に」縛られている。その陥穽を踏まえた上で、なお、今日における「文学的キャノン」を妄想することは不毛な耽美的魅惑に溢れている。
 
 21世紀において、もはや『静かなドン』や『チボー家の人々』は忘れられた作品であるかもしれない。しかし、旧来の世界文学全集では、ディドロは非常に影が薄い存在だったにもかかわらず、「クンデラがやんやと褒めたことがきっかけとなって」18世紀小説の“急所”が明らかになったりする。
 
 漱石も『猫』の中で言及しているローレンス・スターン、「彼ほど世界の小説家に弟子がたくさんいる人はいない」ウォルター・スコット。「ラシーヌはフランス語で聞かないとダメなんですよ」「じゃ、ボルテール外しますか」「スタンダールが二巻ですって?」など、ある意味文学を巡っての抱腹絶倒のコントが繰り広げられる。この衒学趣味をどれほどの度量で受け入れるか。立ちあげられた「世界文学全集」「日本文学全集」が、呆気ないほどティピカルな結果に落ち着いているのにも驚かされる。