溝口睦子 『アマテラスの誕生』

 王政復古を掲げる明治新政府は、新政府樹立直後の明治2年(1869)3月、早くも明治天皇伊勢神宮参拝を挙行している。
その後、同22年(1889)発布の大日本帝国憲法では、第1章第1条で「大日本帝国ハ、万世一系天皇、之ヲ統治ス」と天皇統治権について規定したが、その国家権力の「淵源」をなす神として規定されたのは、皇祖神アマテラス(天照皇大神宮)だった。
 
 ところが実際に、「記紀」などの古典を見てみると、実は、国家神は必ずしもアマテラスだけではない。『日本書紀天孫降臨条本文を読むと、きわめて明快に「タカミムスヒ」(皇祖高皇産霊尊 みおやたかみむすひのみこと)を国家神=皇祖神としている。初代天皇神武の巻の冒頭でも、「タカミムスヒ」が、天皇家の先祖であるニニギ(天祖彦火瓊瓊杵尊 あまつみおやひこほのににぎのみこと)に国を授けたとある。なぜ、国家神の記述は文献によって揺れているのか? いったい国家神は誰なのか? タカミムスヒとはどのような神で、アマテラスとはどのような関係にあるのか?
 
高句麗戦(400、404)における惨敗
日本はこの軍事的敗北によって、それまでの最高首長の系統が「(その要件たる)軍事指揮者、外交権者としての権威を失い、王系の交代を招いたとみられる」(鈴木靖民)
豪族連合団体の社会にふさわしい「多神教的世界」から、新しい王権思想へ
  → 専制王権が依拠する思想としての「王孫降臨神話」(北方系の天降り神話〜高句麗の建国神話)の導入
 
4C末〜5C初頭: 歴史の断絶(新王朝論) 応神王朝論
「現実の世は応神からはじまり、それ以前は伝説の世であるという考えが、広く7世紀の氏族の代表者や宮廷の人々に意識されていた」(直木孝次郎) 
 
統一王権は、父権性や血統重視の観念、世襲制などを「制度」「理念」「思想」として取り入れることで、地方豪族の組織化と、彼らとの関係の維持・安定をはかった。 (p.47)
 
7C以前に最高神・皇祖神の地位についていた「タカミムスヒ」とは何か
  → 天孫に天降りを命じた降臨神話本来の司令神(主神)
 
月次祭(つきなみのまつり): 古代、天皇が年2回、みずからタカミムスヒを祭る国家的祭祀(天皇親祭)
宮中八神: タカミムスヒ、カミムスヒ、タマツメムスヒ、イクムスヒ、タルムスヒ、オオミヤノメコトシロヌシ、ミケツ神(大宝令以前に成立した「月次祭祝詞」より)
後に、アマテラスに関する段(「辞別きて、伊勢に坐す天照らす大御神の大前に白さく」)が挿入される
 
7C末〜8Cはじめにかけて、タカミムスヒからアマテラスへの転換がなされる
  ヤマト王権時代(5C〜7C): タカミムスヒ
  律令国家成立以降(8C〜): アマテラス
 
天地初発の三神(古事記
 天の御中主(天)
 タカミムスヒ(日)――倭王の祖神
 カミムスヒ(日)
 
日本書紀
  神代 上: イザナキ・イザナミの国生み〜アマテラス・スサノヲ〜オオクニヌシ系 → 古くから伝承された日本土着の神話・伝説を集成して構成された神話体系
  神代 下: タカミムスヒを主神とする天孫降臨神話(ムスヒ系建国神話) → 5Cになって新しく取り入れた北方系の支配者起原神話に範をとった建国神話
 
オノコロ嶋(海洋的世界観)
 
大神神社三輪山) オオナムチ(オオクニヌシ)の幸魂・奇魂 大物主
 
神世七代
イザナキ・イザナミ[創造神]
スサノヲ・ヒルメ(アマテラス) → 「ウケヒ神話」と「天岩屋神話」(素朴な太陽女神)
オオクニヌシ
 
スサノヲはインド神話のインドラにも似た、善悪未分の、宇宙的スケールの英雄神
アマテラスを頂点とし最高神とする神々の世界のイメージは、8世紀=律令制以降のアマテラス像をもとにつくられた
  → ヤマト王権時代の王権思想を論じるには、タカミムスヒを取り上げるべきだし、4C以前の、日本の初期王権の思想や文化を探ろうとするなら、オオクニヌシをみなければならない
 
「国譲り神話」と「天孫降臨神話」(九州・日向から東征)の大きな矛盾
 
伊勢神宮: 7Cまでは地方神を祭る神社(津田左右吉〜直木孝次郎による「伊勢神宮論」)
  6C前半頃に皇室と密接な関係  奈良時代前後に皇祖神を祭る神社に昇格
  ← 壬申の乱(672)における神宮(アマテラス)の加護?
 
北九州・沖ノ島朝鮮半島への航路の安全祈願、「海の正倉院」)の宗像三女神(オキツシマヒメ、タキツヒメイチキシマヒメ)は伊勢のアマテラスが生んだ子
 
臣(地名)
連(職掌)……外来のタカミムスヒを筆頭とするムスヒ系の神々、神話を担う
君(地名)(の一部)…アマテラスに象徴される土着の神々、神話を担う
 
7C末 律令国家の成立に向け、天武天皇が新しい中央集権国家を支えるイデオロギーとしての「神話の一元化」をはかる
  皇祖神=国家神  タカミムスヒからアマテラスへ
中国の文字文化の本格的な摂取(「律令国家」、仏教、道教 歴史、文学などの“唐風化”)
  663 白村江の戦いでの惨敗(対唐・新羅連合軍)による危機感・緊張感
 
天武天皇の政治課題: 神話と歴史の一元化と姓制度の改革
斎宮制度の創出(大伯皇女を伊勢に)
新しく取り入れる中国文明の衝撃に対抗しうる、民族固有の伝統 = アマテラス神話
「藩国」である新羅と共通する国家神(タカミムスヒ)を排除
 
真人・朝臣宿禰・忌寸
極端といえるほどの「臣・君・国造系の氏への優遇・重視 ← 政治的な思惑
 
天皇伊勢神宮崇拝は、古代には一度も行われていない(明治2年明治天皇の参拝が史上初。持統、聖武天皇の伊勢行幸でも神宮への参拝はなかった)
 
父系観念、血統・出自の尊重、世襲観念 …… 北方系の文化