リービ英雄 『千々にくだけて』

 昨日、第140回芥川賞直木賞の受賞作品が発表されたが、直木賞天童荒太はともかく、芥川賞津村記久子太宰治賞作家)の方は初めて聞く名前で、ぼく自身、いかに最近の文芸雑誌を読んでいないかを改めて思い知らされた。そう言えば、近年の芥川賞作家で読んだ作品といえば、松浦寿輝の「花腐し」(2000年上半期)くらいなもので、そのほかと言えば、中上健次の「岬」(75年下半期)にまで遡ってしまうのだ。
 
 ところで、昨年の上半期に楊逸が「時の滲む朝」で同賞を受賞したとき、新聞各紙が一斉に「日本語以外の言語を母語とする作家として史上初!」と報道したのに驚き、「日本のジャーナリズムはリービ英雄を忘れてしまったのか」と愕然としてしまったことを思い出す(その後すぐにネットで調べて、リービが「不明にも」芥川賞を取っていなかったことを知るのだが)。
 
 リービ英雄は寡作な作家である。AMAZONで調べても、和書は僅かに20数点しか検索されない(同時期に芥川賞を受賞した“ドイツ語作家”多和田葉子は和書が32件。とすると、71件の出版点数を誇る町田康の流行作家ぶりがすごいのか?)。それにしても、リアルなツイン・タワーを描くことなく、9.11の「亀裂」を描ききった短編「千々にくだけて」は、月並みな言い方になるが、文学の力というものをまざまざと感じさせてくれる傑作としか言いようがない。とにかく、主人公のエドワードはヘビー・スモーカーで、成田からバンクーバーに向かう機上でも煙草のことばかり考えているのだ。
 
 9.11と言えば、テロ勃発後2か月後にノーム・チョムスキーなる文明評論家の政治的パンフレット『アメリカに報復する資格はない』が上梓され、「アメリカは『テロ国家の親玉』だ!」「これは『文明の衝突』ではない」などと断じているのを読み、大きな衝撃を受けた。そしてさらに、このノーム・チョムスキーが、あの「生成文法」のチョムスキー構造主義言語学に深い影響を与えたフェルディナン・ド・ソシュールと並び称されるノーム・チョムスキーと同一人物であることを知り、さらに衝撃を受けてしまったものだ。いや、実際に同書の後書きに、翻訳者の山崎淳が「同名の別人だと思った」と吐露しているくらいだから、チョムスキーの変貌ぶり(?)に驚いた日本の読者は少なくなかったのではあるまいか。
 
   まつしまや、しまじまや、ちぢにくだけて、なつのうみ (島々や千々に砕きて夏の海)
   broken into thousands of pieces