安部は確実、三島に可能性はなかった
川端康成、ノーベル賞は7年越し 谷崎・西脇も候補者 (www.asahi.com 2012年9月22日12時02分)
1968年に日本人で初めてノーベル文学賞を受けた川端康成が、7年前の61年から候補者リストに入っていたことがスウェーデン・アカデミーに対する朝日新聞の情報公開請求でわかった。この年は56人の候補の中に、谷崎潤一郎、西脇順三郎と計3人の日本人の名前があった。
ノーベル賞は候補者の名前や選考過程は非公開だが、50年を過ぎると公開される。川端を推薦したのはアカデミーのメンバー、谷崎と西脇は日本ペンクラブの推薦だった。
選考資料には、川端の作品を講評する長いコメントがついている。「審美的で洗練された物語を見せる作家であることは誰が見ても明白だ。ヨーロッパの自然主義的な影響を受けた作品よりも、我々を真に魅了する。特に『千羽鶴』という小説に独特さが出ている」。ただし、「現在手に入る翻訳があまりに少なく判断することができない。従ってこの推薦は将来に先送りとする」と加えられていた。
谷崎と西脇は58年のリストから名前があるが、61年のリストでは2人分をまとめて「情報が欠如しているため、判断ができない。しばらく様子を見る必要がある」とだけ記されていた。3人とも翻訳の少なさが響いたようだ。
ノーベル図書館の蔵書リストを見ると、川端作品は61年までに「雪国」「千羽鶴」の仏、独、英訳が、その後に「古都」の独訳、受賞の68年には「伊豆の踊子」の独訳が出ていた。
アカデミーによると、20年以上推薦されながら受賞にいたらない人もいるという。川端の評価について、ペール・ベストベリィ・ノーベル委員会委員長は「50年前のことはわからない」と前置きしながら、「アカデミーメンバーの推薦は意味があっただろう。私たちの慣れている作風とは違う形の文学を評価したことは、アカデミーにとっても重要だった」と意味づける。
また、リストにはまだ登場していない日本の作家について、「安部公房は長く生きていたら受賞していただろうと明確に言える。もう一つ言えるのは、三島由紀夫には可能性はなかったということ。前のメンバーからそう聞いている。井上靖も非常に熱心に議論されていたそうだ」と話した。
今年のノーベル賞は、10月8日の医学生理学賞から順次発表される予定。