田尻祐一郎 『江戸の思想史』

 一口に江戸の思想史と言っても、「徳川の平和」から幕末の「内憂外患」の時代まで、その歴史は250年の長きに及び、「武士は何のためにあるのか」を問うた山鹿素行から、徳川国家の正当性を鋭く批判する会沢正志斎まで、まさに百花繚乱の様相を呈している。
 
 その中で注目したいのは、「東アジアの思想世界に屹立していた朱子学を批判して、独創的な思想体系を築いた」伊藤仁斎荻生徂徠。和歌を中心とした文学の革新運動から起こり、「ナショナリズムの一つの胎動でもあり、主題としての<日本>の浮上」を促した国学の大成者・本居宣長。そして「『天・地・泉』という宇宙全体の成立と構造を知ることが、神々の性質やはたらきを知ることであり、その中で営まれる人間の生と死(死後の霊魂の行方)の意味を正しく伝えることに通じる」とした国学者神道家の平田篤胤だ。
 
 こうした江戸の豊穣な思想、とりわけ国学派と儒学派は、王政復古としての明治維新を準備しながらも、新政府による帝国大学というシステムからは排除されていった。切断された<日本精神>がその後、どのような脈絡の中で姿を変え(あるいは留め)、時代精神の中を突き進んでいったのか。江戸思想のアクチュアリティの問題がそこに横たわっている。