島田裕巳 『神も仏も大好きな日本人』

 
 秋風や囲いもなしに興福寺  子規
 
 かつて大和国の大部分、つまりは現在の奈良県全域を所有するほどの隆盛を誇り、「鎌倉幕府室町幕府もそこに守護をおくことさえできなかった」興福寺は、1868年3月28日に発せられた神仏分離令とそれに伴う廃仏毀釈、そして71年と75年に出された「上知令」によって壊滅的な打撃を蒙った。「そこには、興福寺摂関家藤原氏の氏寺で、公卿家出身者が多く、明治新政府に対して積極的に協力する必要があったことが影響した。全国の模範となるような行動をとらなければならなかったのだ」(p.45)
 
 興福寺は事実上廃寺となり、塀は取り壊され、五重塔は二五〇円で売却されることになる。焼却の難だけは辛うじて免れたが、「阿修羅像が安置されてきた西金堂の再建はまだ計画さえもちあがっていない」。そのため、コンクリートで囲まれた国宝館の中で多くの観光客を集め、機会があれば出開帳のためにどこへでも出掛け、興福寺にようやく安定的な収入を得る道を確保した今日の仏像ブームは皮肉的でもある。
 
 現在、神道と仏教は完全に分離した存在として意識されている。しかし、近代以前の日本人は「神道と仏教、さらにはそこに道教儒教が入り交じった形の信仰」を愛してきた。そして、その仏教はかつて「個人を救済する壮大な宇宙論を備えた」密教一色に塗りつぶされた時代があった。
 
 本書ではさらに、古代の宗教の正体を暴き出すために、大神神社の「お塚信仰」や伊勢神宮の「曼荼羅世界」にまで言及する。「一六世紀のなかば伊勢神宮は存亡の危機にさらされていた。というか、存在していなかった」(p.176)。近代が創造した作為的な「伝統仏教」の概念を脱構築し、古代から日本人が対峙してきた真の宗教世界観をいまいちど召還するためのユニークなガイドブック。