宮台真司+飯田哲也 『原発社会からの離脱』

 

…冷戦はさておき、経済復興を遂げれば、日本は対米追従の大きな理由のひとつを失うことになる。自立に向けて舵を切ろう、アメリカに依存する国であることをやめよう。田中角栄はそう考えて、対中国外交と対中東外交でアメリカを起こらせる独自路線を走ろうとしたわけです。
 それが例の「ピーナッツ」という暗号が書かれたものが誤配されて見つかったという発覚の仕方で五億円事件にまで行く。謀略の有無について詳細なことは誰にも分からないかもしれませんが、小室直樹先生も言うようにアメリカ発の事件で嘱託尋問調書という形で反対尋問権もない不思議な裁判によって田中角栄の有罪が確定して葬られる、ということが起こったわけです。
 いろいろな政治家に聞いてもアメリカの関与はよく分からないのですが、「田中角栄のようなことをやってはいけないんだな」という刷り込みにはなりました。日米関係のレジームを根本的に変えるようなことをしてはいけないという枠が刷り込まれたのです。 (p.28)
 
 日本の原子力開発は、「1954年に中曽根康弘氏たちが原子力開発予算を国会に提出し、翌年末に原子力基本法が成立」した時に始まる。その後、1966年に商用として日本初の東海原子力発電所が竣工、1970年に関電美浜原発が、71年に東電福島第一原発が運転を開始した。
 
 以降40年間、高木仁三郎博士のように原発の持続不可能性、プルトニウムの危険性に関し警鐘を鳴らす物理学者も存在はしたが、一般に原発、反原発問題はイデオロギー論争の域を出ず、「思想と政治の貧困」のもと実のあるエネルギー政策の成果はついに世に出ることなく今回の3・11福島第一原発事故を迎えてしまった。
 
 2000年の電力自由化論議、2004年の六ヶ所再処理工場問題とは何だったのか。市場経済の規模縮小を受容しながら、社会の幸福度を高めることは実現可能なのか。これは日本人がかつて経験したことのない「共同体自治の問題」であり、優れて政治的な課題に他ならないのである。