朝吹真理子 『きことわ』

 入院中にもらったメールで、koma2さんがしきりに誉めていたので読んでみる。
 
 ジャン・ジュネ泥棒日記』などの翻訳で知られる仏文学者・朝吹三吉を祖父に、サガンボーヴォワールの翻訳で知られる朝吹登水子を大叔母に持ち、父が仏文学者で詩人の朝吹亮二という、文字通り「文学の名門に生まれた」若き才媛の芥川賞受賞作。端正な文章に静謐な物語運びで、言葉の滋味に癒される思いだ。
 
 とりわけ、最終盤で描かれる25年前の夏の夜、少女時代の貴子と永遠子が葉山の別荘の二階の一室で背中合わせになって眠っているのを、春子と和雄が障子の隙間越しに眺める場面――
 
 (…)廊下の白熱灯のひかりが背中合わせで眠る貴子と永遠子にあたる。光線の加減からか、ふたりの髪と髪とがひとつなぎの束としてみえた。ふたりの髪はともに肩を越すほどではあったが、背中合わせで眠るたがいの髪と髪とは届きようのない距離だった。畳にのびた影かなにかの錯覚にすぎないのに、それがながながとした髪のようにみえる。その黒い束が貴子の髪から永遠子の髪へとつながり、どこからが影であるのか、どこからどこまでがふたりのそれぞれの毛髪であるのかがわからなくなっていた。
 
 など、幻想がノスタルジーとない交ぜとなって、物語世界のカタルシスを体験させてくれる。
 
 古生代デボン紀、千二百万年前から四百万年前にかけて堆積した「スコリア」などの言及に始まり、カップラーメンを待つ3分に合わせて「宇宙のおおまかなところは三分でできた」と語る時空スケールの感覚の意外性。「真室川音頭」とマニュエル・ゴッチングの奇妙な組み合わせ。慶應の大学院で近世歌舞伎を専攻する一方、H・P・ラヴクラフトをはじめ、T・スタージョン、J・フィニィ、G・イーガンなどSF、怪奇・幻想文学に通じ、「辞書・辞典を読むのが好き」と語る著者ならではの言葉選びや言い回しは鮮烈だし、「人の思考は、時間や空間認識が多層的・流動的で、おかゆのような状態である」と語るモチーフにも納得させられる。
 
 その一方で、いったん開かれてしまった作品としての小説は、どのような形で収束されるべきなのかという、この謎めいた、眩暈がするようなアポリアに打ちのめされずにはいられない、奇妙な読後感を強いる作品でもあった。次は著者の、「一文字さきがわからず、毎日が未知」である中、やがて時間をかけてものされるであろう長編小説の誕生を心待ちにしたい。