中沢新一+坂本龍一 『縄文聖地巡礼』

 縄文中期の遺跡群を見てみると、死者と生者が入り交じる状態をつくっていますよね。村の中央には墓地があって、空間的にも死者と生者が共存しているし、一日の時間のなかでも、昼間は生者の世界だけど、夜は死者が入り込んでくる。生者の世界と死者や精霊の世界、このふたつの世界が入れ子構造になっていて、均質な世界ではないんですね。この均質ではない空間をどう表現するかということで、ドゥルーズ=ガタリは「フラクタル」という言い方をしたわけですが、他界の力はこの現世の細部に至るまで入り込んでいる。(…)ところが縄文後期になると(…)死者の世界を村の外へ出して分離しはじめる。そうすると、不均質だった生者の世界は均質空間になり、死者の世界も観念的になって記号化されていく。 (中沢、p.158-9)
 
 9・11の米国同時多発テロがわれわれに露呈させたもの、それは現代文明における富=貨幣の「圧倒的な非対称」であった。その価値の根底には「等価交換」の思想が横たわっている。
 
 
 現代文明をつくっている価値は、「ものとものが等価交換できる」という考え方にもとづいています。その考え方は、哲学の言葉で言うと「他者」、もっと実感的な言い方をすると「死」にかかわることが排除されることによって起こります。(…)これが等価交換の原理と結びつき、けっして腐ったりも死んだりもしない、永遠の不死の存在のような貨幣が生まれ、ついにはもともと交換の道具だったはずの貨幣が主人公のような時代になってしまっています。 (中沢、p.8-9)
 
 
 その「グローバル化する資本主義」に対抗するオルタナティブ、現代文明とは異なる原理によって動く未来を「縄文」世界に探す試みが、本書の言う「縄文聖地巡礼」だ。
 中沢、坂本両者の旅はタケミナカタノカミの神話で知られる諏訪に始まり、敦賀・若狭、奈良・紀伊田辺、山口・鹿児島を経て青森の三内丸山遺跡で終わる。奈良・東大寺へ「お水送り」をする「鵜の瀬」の伝説と丹生の浦に立つ美浜原発南方熊楠植芝盛平を生んだ旧石器の聖地・田辺、エイゼンシュタインと「ハンター・ギャラザー」、国家の発生を抑える思考など、想像力を刺激する断片が多数のカラー写真とともに収められている。