島薗進 『国家神道と日本人』

 「国家神道とは何かという問いは、戦前の天皇崇敬や攻撃的な対外政策に宗教がどのように関わっていたかという問題と大いに関わりがある。またそれは、第二次世界大戦後の日本で信教の自由や思想・良心の自由がどのように保たれてきたか、また、今後、どのように保たれていくべきかという問題とも深く関わっている。(略)国家神道とは何かを的確に理解し、近代日本の宗教構造への考察を深めていくこと、これがこの本の第一の目標である。そして、それを通して近代宗教史のさまざまな局面に新たな光をあてようとしている。そうした作業を通して、現代日本における信教の自由や政教分離についてどのように考えていけばよいか、その手がかりを提供することをも望んでいる。」(「はじめに」p.viii-ix)
 
 国家神道はどのように広められてきたのか。久野収鶴見俊輔現代日本の思想』の論考に重ね合わせるなら、「天皇の権威と権力が、『顕教』と『密教』、通俗的と高踏的の二様に解釈され、この二様の解釈の微妙な運営的調和の上に、伊藤の作った明治日本の国家がなりたっていた」(p.177)。
 
 では、戦後のGHQによる「神道指令」は国家神道を解体したか? もちろんその規模は「格段に縮小した」が、神道指令は神社神道と皇室祭祀のうち、後者にはまったく触れなかった。その前提は、皇室祭祀は「国民のための信教の自由という問題領域の枠外にある」(p.185)とする考え方である。「ここでは皇室祭祀、皇室神道の公的機能と信教の自由の葛藤の可能性に対して、たいへん楽観的な見方がとられている(p.186)。
 
 そこには最高司令官マッカーサー天皇に対する「微妙な配慮」があったと考えられよう。いずれにせよ、皇室祭祀が残ったことにより、「日本人は国家神道の思想や心情の影響をふだんに受ける位置に今もいるのであり、そのことに自覚的に対処するのがよい」(p.189)と著者は指摘する。それは「戦没者の追悼をめぐる問題や国家と宗教行事や祭祀の関わりの問題、ひいては諸宗教集団の活動の自由や公益性の問題を考える」上での、正確な認識に欠かせないものなのだ。
 
 本書の最後部で、著者は福沢諭吉がその著『帝室論』において「皇室は政治には携わることなくすべてを統括する機能を果たす。直接国民の『形体』にふれることなく『精神』を『収攬』しえている。これはすぐれたシステムではないか」(p.221)と論じていたことに触れ、皇居を「空虚な中心」と論じてみせたロラン・バルト『表象の帝国』を(あるいは丸山真男の「無構造の伝統」、河合隼雄の「中空構造」論を)引用する。
 
 だが、そこは果たして本当に「空虚な中心」であるのだろうか。バルトの洞察の鋭さを称えつつも、「もしバルトが『国家神道とは何か』という問いに答えるすべを知っていたとすれば、『空虚な中心』論の内容はだいぶ異なるものになるはずだ」という締めくくりの言葉が示唆的だ。
 
表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)