中川右介 『昭和45年11月25日』

 昭和45年11月25日の当日、三島由起夫の「死」に何らかの形で触れ、後日それについて発言した120余人の文献、資料の断片をモンタージュし、時系列に再配置してみせた「虚構のドキュメンタリー」。
 
 《たった今ああした事件が起こったばかりなのに、あるいはそのせいなのか、兵隊たちはそこら中でてんでんばらばらに暇つぶしをしてい、ある者たちは輪になってバレーボールをしてい、ある者たちはむきだしの地面の上で銃剣術の練習をしてい、ある者たちはただしゃがんで煙草を吸っていた。
 
 秘書から事件の報を受け、ホテルニューオータニから市ヶ谷の自衛隊駐屯地の正面玄関まで駆けつけた石原慎太郎は、その時の「雑然とした光景」をそのように語ってみせる。しかし、それはあくまで事件から四半世紀ほどたってからの作家の「回想」に過ぎない。銘々に独りよがりなだけの記憶の断片は、集まれば集まるほど真の「姿」を霧の中に隠し、曖昧なものとする。
 
 三島自身ノーベル文学賞の最有力候補と目されながら、68年川端康成に先を越され、《記者に「次は三島さんですね」と持ちあげられると、「いや、大江だよ」と答えた》エピソードは有名だが、その大江健三郎のうわべの激烈なまでの冷淡さと、その実としての《三島由紀夫は僕の記憶にいつまでも生なましく、いつまでも重要であるだろう》という誠実な告白に心を打たれる。
 
 ほかには、なぜ村上春樹は『羊をめぐる冒険』を「三島の死」から始めなければならなかったのか。あるいは小林秀雄江藤淳中上健次、あるいは柄谷行人浅田彰島田雅彦(島田は当時9歳か)らの「11月25日」も読んでみたかった。