日本政府の了解のもとに

「米基地は抑止力」沖縄返還前、維持訴える外交文書 (www.asahi.com 2010年11月27日3時41分)
 
 沖縄返還の交渉中だった1969年に防衛庁(現・防衛省)が沖縄の米軍基地について、政府内の報告文書で「抑止力」という言葉を使って維持の必要性を主張していたことがわかった。朝鮮戦争を境に「対日監視基地」から「最前線の戦略拠点」になったとしている。外務省が26日に公開した外交文書で判明した。
 同年11月の返還合意の際に日米は核再持ち込みの密約を交わした。返還前から沖縄に基地を維持し続けるという政府の姿勢がすでに示されていたと専門家は見ている。
 
 「沖縄返還に関する防衛上の諸問題」と題された69年1月24日付の文書。防衛庁が作成し、外務省幹部との会議で配布した。
 
 文書は、米国の極東戦略に触れ、「(沖縄の基地の役割は)当初は、単なる米国の対日監視基地に過ぎなかったが、朝鮮戦争後は、地理的特性から共産勢力の膨張をせきとめるという米国の世界戦略における最前線の戦略拠点となった」とし、機能低下による東アジア地域への影響を指摘。沖縄基地について「強大な攻撃力と他国にも出動しうる軍事力とによって支えられたもの」「わが防衛力が代替しうるものはほとんどない」と結論づけている。
 
 当時、沖縄の基地には核が配備されていたが、「沖縄基地の軍事機能」として、核兵器の先制攻撃に核で応戦する「核報復機能」にも触れ、それを含む基地を韓国や台湾へ移転することは「ソ連中共等を刺戟すること、基地の脆弱性が増大することなど、多くの弱点を生ずる」とした。
 
 沖縄返還交渉に詳しい琉球大学我部政明教授(国際政治学)は「そのころ米国内には沖縄の核の必要性を疑問視する意見もあったが、核や広大な戦略基地など日本本土が持てないもの持ちたくないものは、返還前から沖縄に置かれてきた」と指摘。その上で「沖縄は時代の状況に応じて日本政府の了解のもとに負担を強いられ続けてきたことになる。その後の沖縄への核持ち込み密約や、現在まで基地が減らない理由につながっているのではないか」と話している。