三井環 『「権力」に操られる検察』

 鈴木宗男事件は、9月15日に最高裁第一小法廷が上告棄却決定に対する異議申し立てを棄却。懲役2年の実刑、追徴金1100万円とした一、二審が確定した。一方、郵便不正事件に関しては、主任検事による押収品のFDデータ改竄という「検察史上前例のない不祥事」を契機として(未明の朝日新聞のスクープから一夜明け、21日には大阪地検が上訴権を放棄し村木厚子氏の無罪が確定)、検察の失墜ぶりは今なお予測不能なダッチロールの軌跡を描きつつある。
 
 検察には、古くから守られてきた一つの不文律がある。鉄則と言い替えてもいいだろう。捜査を政争の具にしない――選挙に影響を及ぼす時期には、絶対に強制捜査をしないという一点だ。
 選挙とは、民主主義にとっての一番の原点である。選挙に対し、検察が余計な横やりなど入れてはいけない。選挙民の自由な意志のみによって選挙が実施されなければ、民主主義の健全さが脅かされてしまう。
(p.120-121)
 
 これは2009年3月の、東京地検特捜部による小沢一郎民主党代表(=当時)の公設第一秘書・大久保隆規の逮捕劇に対する著者の指摘である。あるいは、1億円の裏金の真相が闇に葬られた日歯連事件と西松建設事件との対比。小沢不起訴は、果たして検察人事との「トレードオフ」であったのか? 検察審査会の審判に委ねられることになった本件は、ともあれ、検察の手を離れた。
 
 なお、本書で批判の対象となっていた前田恒彦小沢一郎事件も担当、「筋の悪い人物」)が今回逮捕され(朝鮮総連事件でも近く刑事告発される見込み)、もう一人の大坪弘道・大阪地検特捜部長(=当時)は23日午後に最高検から事情聴取を受けるなど、いま振り返ると「予言の書」めいた記述が散見され興味深い。