夢見る文学者の昼と夜

福永武彦終戦直後の日記見つかる 文学へ強い意欲 (www.asahi.com 2010年9月6日23時34分)
 
 「忘却の河」「廃市」などで知られる作家、福永武彦(1918〜79)の終戦直後の日記が見つかった。福永の長男で作家の池澤夏樹さんと新潮社が6日発表した。作家として出発する前に抱いた希望や、結核の病床で最初の長編「風土」を書き進めた苦難の様子などがうかがえる。
 
 日記の時期は45年9〜12月、46年の1月と3〜6月、47年の6〜7月。研究者らが古書市場などから発見した。
 45年9月には、疎開先の北海道・帯広に妻(詩人の原條あき子)と生まれたばかりの池澤さんを残して東京に向かう気持ちを「僕は自由を覓(もと)めて行く。大都会に敗戦の現実を探りに」と書いていた。
 同じ月に滞在した長野県での記述からは、新しい詩作を目指すグループ「マチネ・ポエティク」同人の評論家加藤周一や作家中村真一郎と雑誌創刊の計画を練り、「さあ愈愈(いよいよ)出発だ。新しい運動を始めよう」と張りきる様子がみえる。
 他方、46年1月22日付の記述では、生活の見通しがたたず、「早く一本立になることがどうしても必要なのだ」と悩む姿もうかがえる。
 
 帯広に戻り中学校に勤めるが、47年6月に結核のためサナトリウム(療養所)に入所。将来を悲観した妻から自殺をほのめかす手紙が届いたとして、同29日の日記には「斯くの如く残酷なる言辞を弄し、我を徹底的に打ちのめすにあり」と悲痛な思いを吐露している。それでも「『風土』数枚を書く」との記述が繰り返しみられ、病床にあって完成への強い意思を持ち続けていたことがわかる。
 池澤さんは「困難な生活の中で新しい文学をつくりたいとの思いが伝わってくる。福永文学の主題である愛と孤独を考える上でもサナトリウム体験は大きい。共感と同情を持って読んだ」と話した。
 
 日記の一部は「新潮」10月号に掲載。全文は来年、新潮社から刊行される。52年前後の日記も見つかり、研究中だ。