65年後の8時15分

「核抑止力は引き続き必要」菅首相、平和祈念式後に (www.asahi.com 2010年8月6日12時39分)
 
 菅直人首相は6日午前、原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(平和記念式)に出席後、広島市内で記者会見し、「核抑止力は、我が国にとって引き続き必要だ」と述べた。広島市秋葉忠利市長が平和宣言で「核の傘」からの離脱を求めたことへの対応を問われたのに対して答えた。記念式では「核の傘」への言及は避けていた。
 一方、秋葉市長が求めた非核三原則の法制化について、首相は「非核三原則を堅持する方針に変わりはない」と述べた。ただ、仙谷由人官房長官は6日午前の会見で「改めて法制化する必要はない」と否定的な認識を示した。
 
 
核なき世界へ米大使・国連総長ら集う 広島「原爆の日 (www.asahi.com 2010年8月6日13時37分)
 
 広島は6日、被爆から65年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区平和記念公園では午前、「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式)があり、原爆を投下した米国や核兵器保有する英仏両国の代表が初めて参列した。潘基文(パン・ギムン)・国連事務総長も初参列。核保有国のロシアも含め過去最多となる74カ国の代表が集い、核廃絶に向けた国際機運の高まりを象徴する式典となった。
 
 式典は午前8時に始まった。市発表の参列者は5万5千人。米国からはルース駐日大使、英仏両国からは臨時代理大使が参列した。前日までの1年間に死亡が確認された5501人の名前を記した名簿を、秋葉忠利市長と2人の遺族代表が原爆死没者慰霊碑に納めた。死没者の累計は26万9446人になった。菅直人首相、潘氏、天野之弥国際原子力機関IAEA)事務局長、9カ国の代表らが慰霊碑に次々と献花。原爆が投下された午前8時15分に「平和の鐘」が鳴らされ、全員が1分間の黙祷をささげた。
 
 秋葉市長は平和宣言で、米英仏の代表や国連事務総長の初参列について、「核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めている」と評価。「こがあな いびせえ(こんな恐ろしい)こたあ、ほかの誰にもあっちゃあいけん」と、被爆者の声を広島の方言で紹介し、核廃絶のためには、「被爆者の本願」を世界に伝えることが必要だと指摘した。
 被爆国として「核廃絶に向けて先頭に立つ」と表明している日本政府に対しては、米国の「核の傘」からの離脱と非核三原則の法制化を要求。5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議の最終文書で言及された核兵器禁止条約実現のために、日本が主導的役割を果たすよう訴えた。
 
 菅首相はあいさつで非核三原則の堅持を誓い、「具体的な核軍縮・不拡散の措置を積極的に提案していく」と表明。潘氏も「核兵器が存在する限り、私たちは核の影におびえて暮らすことになる」と訴え、「核兵器のない世界という夢を実現しましょう」と呼びかけた。
 
 今年3月末現在、被爆者健康手帳を持つのは22万7565人で、前年同期に比べ8004人減った。平均年齢は76.73歳で、前年より0.81歳上がった。
 
 
エノラ・ゲイ機長の息子、米大使の広島訪問批判 2010年8月6日10時35分
 
 広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ機長(故人)の息子が5日、ルース駐日米大使の記念式典出席を「前例がなく、すべきではなかった」「暗黙の謝罪だ」などと批判した。米CNNテレビの電話取材に答えた。
 取材に応じたのは、機長の息子で米アラバマ州に住むジーン・ティベッツ氏。「原爆投下は正しかったか」と問われ、「我々は正しいことをした。多くの米兵の命が救われたうえ、多くの日本人の命を救った可能性もある」とも述べた。同氏は保守系の米フォックス・ニュースの取材にも応じ、「日本は真珠湾を攻撃した。我々は日本人を虐殺したのではなく、戦争を止めたのだ」とコメントしていた。
 
 米の主要メディアが広島の記念式典を取りあげるのは異例。CNNはプライムタイムの番組内で、ルース大使の映像を交えて報じた。ティベッツ機長は2007年、老衰のため92歳で死去した。