益田岩船

【益田岩船】奇っ怪 愉快 豪快な巨石 (www.asahi.com 抄録)
 
 奈良県橿原市の南端、岩船山(130メートル)の頂上近く。「益田岩船」は、奇岩・巨岩好きに知られた存在だ。「子どものころ、ここで登ったりすべったりして遊んだ」と地元出身の記者(44)。当時はふもとから岩船が見え、景観も良かったと自慢げに証言する。
 哲学者の梅原猛さん(85)も著書「飛鳥とは何か」(集英社文庫)の中で「(飛鳥で)いちばん奇怪なのは益田岩船である」と断言し、岩船に登って「四方がよく見える。東に御破裂山、西に葛城山、東北に三輪山」と見渡した。ならば私も、と急斜面をはって現地にたどり着いたが、今はうっそうと伸びた竹林に囲まれ、眺望などまるでない。「話が違う……」
 
 それにしても異様だ。過去の測量によると、東西11メートル、南北8メートル、高さ約5メートル。重量は推定800トンとも。石舞台古墳でさえ一番大きな天井石が77トンだ。岩船の上半分は平らでなめらか。下半分は凸面が刻まれ、ごつごつ状態。さらに謎めくのは石の上面にスパッと切った断面の溝(幅1.8メートル)と、その溝の中の四角い穴(1.6メートル四方、深さ1.3メートル)二つだ。
 
 誰が、何のために造ったのか? 古くから諸説が飛び交う。まず益田池の石碑説。弘法大師が干ばつ対策で造成した益田池の完成記念碑を岩船の穴に立てたという。梅原さんは著書で占星(天文)台説を主張。「岩船の上で天武帝や持統帝が新しい宗教的行事を行ったとしても不思議はない」。いやいや「天武ではなく、その母・斉明天皇の墓」と話すのは考古学者の猪熊兼勝さん。石材を上から下へ整形し、完成後に90度手前に起こすと穴二つが2人用の石室になる。古墳の石室説だ。ただ、整形中に石の亀裂に気づき、未完成のまま放置されたのだと。
 
 極め付きは、飛鳥と古代ペルシャ(イラン)人を結びつけた松本清張ゾロアスター教の拝火壇説だ。ゾロアスター教ペルシャの予言者・ゾロアスターを祖とする宗教。清張は1973年から朝日新聞に連載した小説「火の回路」(「火の路」に改題)で「ペルシャ人が飛鳥京を訪れ、ゾロアスター教を伝えた」「岩船はペルシャ人が残した石造物」と大胆な推理を展開した。確かに飛鳥には男女が絡み合う「石人像」など、中国や朝鮮半島にもないペルシャ的要素の石造物があちこちにある。これらは斉明天皇時代のもので、清張説では、斉明こそゾロアスター教の信者だった、となる。
 他に、城塞の物見台説や漏刻台(水時計)説、火葬墓説も。(後略)
 
巨石やミステリーに詳しい作家・若一光司さん
自由に謎を楽しもう

 
 益田岩船によく似たものとして、生石神社(兵庫県高砂市)のご神体「石の宝殿」がある。以前、これを見たオバサンが「テレビの形にそっくりや。昔の人がテレビを予言して造りはったんやで」と話しているのを耳にして感動した。どちらも建造目的は謎。だからわれわれ素人は、自由にその謎を楽しめばいい。石工たちが、何か自主的な力比べを試みた結果かも……なんて想像するのも面白い。