三島由紀夫 『天人五衰 豊饒の海(四)』

 『天人五衰』は、脱稿の日付に三島自決当日の「昭和四十五年十一月二十五日」の日付が刻まれているように、文字通り小説家・三島由紀夫の「白鳥の歌」である(ただし、年譜によれば三島は最終稿を8月に伊豆下田東急ホテルで脱稿したらしい)。
 
 戦後の一時代の文学史を画した三島にふさわしい「問題作」であることは間違いないが、四部作としては『春の雪』『奔馬』に比べ、その構想、完成度を比べると一歩も二歩も及ばない。『暁の寺』第二部以降連綿と続く三島の見えない虚脱、「書き急ぎ」の観は本書でも明らかだ。論理展開のその気詰まりなまでの「強引さ」を、三島らしい細部描写の過剰な超絶技巧によって韜晦しているといって過言ではない空虚な饒舌さ。
 半面、そうした構成力の投げやりな粗さや無関心なまでの切断、断絶も(例えば本作に登場する浜中百子の扱い。紅一点のヒロインでありながら、透の『待った甲斐があって、やっと傷つける値打のある存在が現れたぞ』という放恣な欲望を充足するためだけに描写される)、「肉をとおって聖性に達する、この暗い隘路」のような「輪廻転生」という主題の難解さのもとでは、一種独特なリアリティーを獲得しているように読めなくもないだろう。
 
 『豊饒の海』全四巻を貫いているのは、大乗仏教に現れる「唯識」哲学である。それは、徹底した実在の「否定」であり、外部世界に実在すると思われていたものは、すべて自らの深層意識=「阿頼耶識」の錯覚が描き出した影像に過ぎないという思想だ。それは最終部、月修寺での息を呑むような劇的な結末に濃厚に照射されている。
 
 『天人五衰』は昭和45年5月2日、刻一刻と変化する駿河湾を倍率30倍の望遠鏡で見つめる安永透の描写で書き起こされる。そこは三保の松原、空飛ぶ天人を謳った「羽衣伝説」の舞台でもある。本多繁邦は76歳になっていた。「覗く少年」安永は、同じく「覗く老人」本多のカリカチュアでもある。「自分はいつも見ている。もっとも神聖なものも、最も汚穢なものも、同じように。見ることがすべてを同じにしてしまう」と慨嘆する本多老人に対し、「あそこからこそ自分は来たのだ、幻の国土から。夜明けの空がたまたま垣間見せるあの国から」と見得を切ってみせる透少年。「見るがいい。この少年こそ純粋な悪だった!」という命題は、「人生をまじめに厳粛に考えたりする年齢を、本多は夙うに通りすぎていた。どんな邪悪な戯れもゆるされる年齢である」という本多への修飾に精確に対応する。まごうことなき「悪」の物語、それが『天人五衰』のもう一つの主題である。
 
 ひょっとすると、あの少年は、はじめて本多の前に現れた精巧な贋物なのではあるまいか。――そう嘯いてみせる作者・三島の声は、本作品に周到に投げかけられた有毒な「罠」ではなかったか。果たして、安永透は本当に「贋物」だったのか。その解釈をめぐって、本書は錯綜した複線的な「読み」に開かれるだろう。
 いずれにせよ、冒頭、仕事場である帝国信号通信所の建物を出て自宅のアパートに戻った透の「寝不足であったり、疲れて来たりすると、顔に脂が浮き、腋下に汗をかく癖がある」指摘、あるいは本多が初めて透に出会った際の「少年が顔を出したとたんに、花はその髪から離れて、階段をころがり落ちて、本多の足許に届いた」描写など、三島が読者に対して、透の「五衰の相」を印象づけていることは明らかだ。鏡に自ら微笑の漂いを映し出す透は、それが「少女の微笑に似ている」と感じる。「どこか遠い国の、言葉の通じない少女は、こんな微笑を、他人との唯一の通い路にしていることがあるかもしれない」という独白は、明らかにジン・ジャンの転生を示唆している。
 
 悪魔をも戦慄させるに違いなかった安永透に、果たして「回心」の転機は訪れたのか。狂女・絹江が示す「新しい生命」の胚胎は、何を意味しているのか。あるいは、より大きく概括するならば、本多繁邦が自ら身をもって体験した、60年余に及ぶ「輪廻転生」の実相とは何であったのか。それはすべて、本多の自我執着、「末那(マナ)識」に過ぎなかったのか。梵我一如の解脱においてしか決して救済されることはないのだとしたら、人間とは、人生とはいったい何なのか――。
 しかし、最終主題は遂に、作者の脱稿を持ってしても明鏡に開かれることはなく、三島のあの決定的な自決とともに、「硝子の円蓋に密封された白珊瑚の標本」のように、永遠の寂寞の裡に閉ざされてしまったのだ。