鈴木貞美 『戦後思想は日本を読みそこねてきた』

 20世紀前半の日本が捕捉された「ナショナリズム」の陥穽を、果たして戦後民主主義はよく相対化し、乗り越えることができたのだろうか――。本書のタイトルが示すように、もし戦後思想がこれまで日本を「読み損ねてきた」とするならば、その誤読の根源はどこにあったのか、その所在を曖昧さの中から探り出すテキストである。
 
 本書の論考の対象としてカギを握る丸山真男は、その著「日本の思想」において、1935年の国体明徴を「突然変異」のひとつに数える(p.162)。政友会と軍部の結託による反政府運動は当時の国会にまで及び、結果として、政府は天皇主権論の声明を余儀なくされる。美濃部達吉の著書は発禁となり、その師・一木喜徳郎も枢密院議長の座を追われた。鈴木貞美は、この「軍部強硬派と右翼勢力が政治的な進出を果たす突破口となった」1935年を、近代日本思想史の“分け目”の年として読者に注目を促す。
 
 そして、この時代の思想的傾向を顕著に象徴しているのが、「日本精神」というキーワードだ。紀平正美『日本精神』(1930)は、その本質を「ドイツ観念論哲学を転倒して、日本文化の特殊性を『ことあげ』しないことや『惟神の道』に」求めたが、このいかにも危機的なテキストを大きな契機として、思想界で「日本精神」をめぐる思索が沸騰することになる。このあたりの経緯に、時代性の限界を認めることは容易だが、その一方で、長谷川如是閑が「国民的性格としての日本精神」という論考の中で、「幕末にも中世の『神皇正統記』の精神が復活したことを指摘し、復古により『純粋日本』がくりかえし立ちあらわれるのが日本文化の特徴」と明察していることには驚かされる。
 
 「日本的なるもの」とは何か。1930年代半ばには、「禅宗の影響を受けた中世の歌論や世阿弥の『幽玄』、わび茶の精神や、それを元禄期に受けついだ芭蕉の『わび』」(p.167)などの精神性に求める論調が高まっていく。こうした精神論に対して、リベラリズムからの批判はなされるものの、1937年7月の蘆溝橋事件に端を発する日中戦争期に突入し、筧克彦の『皇国精神講話』を源流とする「大正生命主義を根にもつ仏教系と神道系のふたつの思想の流れが、死して民族の生命と一体になることへと人々を誘い」(p.178)続けることになる。
 
 今日においては、民族の「伝統」という観念は(近代戦争を遂行するための「国民」を創成するために)「近代」が発明したものに過ぎない、と指摘される。「ふつうわれわれが『日本文化の伝統』と考えていることは、明治期に、近代天皇制や日本文学史など諸制度の近代的再編に伴ってつくられたものだ」(p.232)。しかし、こうした批評を真にクリティカルに掬い取るためには、思想史の丹念な洗い直しが不可欠だろう。本書では新書という限られた紙面ながら、丸山真男の歴史意識、「惟神(かむながら)の道」、「近代の超克」思想の展開から「大東亜共栄圏」構想と八紘一宇までを概観しており、日本にとっての「近代の発明」とは何であったのかを考える上で大きな示唆を与えてくれている。