夏目漱石 『明暗』

 『三四郎』といえば「無意識の偽善」(アンコンシャス・ヒポクリット)をめぐる物語であったように、文学史的には、『明暗』といえば「則天去私」の境地を描いた作品と解されている。修善寺の大患から6年を経て、再び胃潰瘍を悪化させた夏目漱石は1916年12月9日、『明暗』を188節まで書き上げたところでこの世を去った。
 
 漱石は「不倫」を描き続けた作家であった。――果たしてそう言い切ってしまっていいかどうかは分からないが、その一方で、漱石の遺した日記や書簡の断片を読むたびに、近代という「病」に芯から冒された「近代人」という怪物が立ち現れて、生半可な理解を拒絶されるような近寄りがたさに圧倒されないではいられない。
 
 「非道く降ってきたね。この様子じゃまた軽便の路が壊れやしないかね」
 (略)
 この挨拶のうちに偶然使用された軽便という語は、津田にとってたしかに一種の暗示であった。彼は午後の何時間かをその軽便に揺られる転地者であった。ことによると同じ方角へ遊びに行く連中かも知れないと思った津田の耳は、彼らの談話に対して急に鋭敏になった。
 (p.510-511)
 
 こうした読めば読むほど恐ろしくなる、黙示録的な文章に出会える作家はそう多くないと思うのだが、いかがだろうか。
 主人公である津田由雄とお延の夫婦関係、清子との過去、「私(わたくし)」の存在する日常から湯治場への転落行――。人間存在の「リアリズム」を発見させたのが「近代」であるとするならば、この作品はまさに「近代」文学の一頂点であり、その未完というスタイルゆえに、近代の結末もまた宙に浮かんだまま、読む者の心を不安に惑わすのだ。