野中広務+辛淑玉 『差別と日本人』

 1951年に26歳の若さで園部町議に当選して以来、同町長、京都府議、副知事を歴任した野中広務は「強運の男」でもあった。83年に58歳で国政に転じてからは、村山政権時に自治大臣国家公安委員会委員長として初入閣を果たし、官房長官(98年=小渕政権)、自民党幹事長(00年=森政権)として権勢を振るう。国会議員としては遅咲きであったにもかかわらず、野中は権力の中枢へと、吸い込まれるように昇っていく。戦争を挟んで務めていた大阪鉄道管理局時代、「もう頼みますから昇級させないでください」とお願いする(p.65)エピソードが興味深い。
 
 第三章「国政と差別」では、オウム真理教事件破防法国旗国歌法案の成立など、その功罪が論争を呼びそうな問題に迫る。とはいえ誌面に限界があり、やや物足りない感も。
 一連の証券スキャンダルと日興證券に対する利益要求の疑いにより、衆議院本会議で逮捕許諾が議決される直前に「私は潔白です」と発言し、翌日都内のホテルで自死を遂げた新井将敬をめぐる記述には思わず息をのんだ。
 ほかに、沖縄駐留軍用地特別措置法改正案(特措法)成立に際しての、委員会での発言「国会の審議が大政翼賛会のような形にならないように」、日米安保基地問題など。
 
 第四章「これからの政治と差別」では石原慎太郎麻生太郎の「暴言」に言及(ただし、石原に対して野中は「あんなのボンボンですよ」と評するのみ)。四民平等という「国民国家原理」の導入は、軍事国家の形成に不可欠な国民皆兵を実現するため口実(辛)、という視野から財閥、天皇制と被差別民を考察、ほかに北朝鮮訪朝、オバマ大統領登場の話などを経て、対談は終わる。
 
 差別は、その時代の、今、そのときに「差別する必要があるから」存在するのだ、ということ。「差別の対象は、歴史性を背負っているから差別されるのではない」(p.168)という辛淑玉の発言はきわめて簡潔であり、明快だった。
 
 ――家族だけは守らなきゃいけない……と思ったんですよね。私たち……。 (p.195)
 本書p.188からの辛氏と野中氏の激白の「重み」には、誰しも圧倒されずにはいられないだろう。