偏狭さに抗するために
子路曰く、願わくは子の志を聞かん。子曰く、老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん。(論語 公冶長第五の二十六)
(子路が孔子に、先生の志を尋ねた。孔子曰く、「年長者から安心され、友人には信頼され、年少者からは慕われる人物になりたいものだ」)
最近出版した本の中で、『論語』をこよなく愛する大学人のインタビューを掲載した。平成元年に亡くなった父は「天網恢恢疎にして漏らさず」が口癖で、論語よりも『老子』『荘子』を好み、その影響からか、ぼく自身も何となく『論語』は「当たり前のことを当たり前に述べているテキスト」と敬遠していたが、いま改めてその一節に触れてみると、中国古典の精神性の強靱さに驚かされざるを得ない。
――老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん。
実は、こういう人こそ、社会に稀(まれ)なのだ。年長者に媚びへつらい、年下の人間には傲岸不遜な態度を取る人間は、どの世界にも必ずいる。初めのうちは「あの人は変わっているから」で済まされても、そのうち周囲の信頼を決定的に失い、結局は孤立してしまうことになるのが、なぜ分からないのか。心の中に潜む「偏狭さ」に抗するための智恵を、古典の中に汲み取りたい。