忘れものとしての「訴訟」

 丸善コンラッド『闇の奥』(光文社古典新訳文庫)、ジョルジュ・バタイユ『純然たる幸福』(ちくま学芸文庫)、丸山真男『日本の思想』(岩波新書)を、Book 1stでロベルト・エスポジト『近代政治の脱構築』(講談社選書メチエ)、島田裕巳『教養としての日本宗教事件史』(河出ブックス)を購入。
 
 久しぶりに本を買い込んで、3連休は好きなだけ本を読んで過ごそうと思ったが、肝心の丘沢静也訳・カフカ『訴訟』(光文社古典新訳文庫)を購入するのを忘れてしまう。
 
 今日、会社でSさんとも話題になったことだけれど、『審判』で知られるこの作品、原題は Der Proceß で、直訳すると「訴訟手続き」「告訴」「審理」が正しい。それが、『審判』になると、あまりに神学的解釈が強くなりすぎる(cf. 最後の審判)ということで、専門家の間では批判の声も少なくなかったのである。
 半面、『星の王子様』(原題は Le Petit Prince )や『ライ麦畑でつかまえて』( The Catcher in the Rye )のように、日本語のタイトルが決定的に定着してしまうと、次に翻訳する人も、どうしても旧題を踏襲せざるを得なくなるものらしい。実際、村上春樹訳の新訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」についても、出版当初は、一部のファンの間ででかなり不評をかこった(「なぜ旧作の世界観を壊すのか」というのがその理由のようだが)という。
 
 その意味で、このあまりに有名な小説を、あえて「新題」で訳し直した丘沢訳(同氏はムージルのほか、ベンヤミンヴィトゲンシュタイン、H・M・エンツェンスベルガー、ミヒャエル・エンデなども訳している)のカフカの出来具合いは、ちょっと楽しみである。
 

訴訟 (光文社古典新訳文庫)

訴訟 (光文社古典新訳文庫)