太宰治 『人間失格』

 池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる
 
 これは太宰治伊馬春部に遺した色紙に記された、太宰ファンなら知らぬ者のいない伊藤左千夫の一首だ。「昭和23年6月13日夜半、(山崎)富栄の部屋に二人の写真を飾って間に合わせの仏壇をしつらえたあと、降りしきる雨の中を太宰と富栄は近くを流れる玉川上水に入水した。…一週間後の6月19日早朝、投身推定箇所より2キロほど下流で二人の遺体が確認された。奇しくもその日は、太宰治、満39歳の誕生日に当たっていた」(『新潮日本文学アルバム 太宰治』より)
 
 今日は、その一周忌から始められた、太宰治を偲ぶ「桜桃忌」の日だ。仕事帰り、およそ28年ぶりに三鷹禅林寺を訪ねる。三鷹駅前も、それから禅林寺も、四半世紀を経てすっかり変わってしまった。東京。晴れ。今日くらいは降りしきる雨の情景が見たかった。午後6時半を過ぎ、普段なら寺院も閉まっている頃だが、6月で日没までまだ時間がある。訪れる人もすっかりまばらとなっていたが、それでも若い女性、主婦、会社帰りのサラリーマンなど、太宰の墓を囲んで十数人が佇んでいる。隣の青年が意を決したように煙草に火をつけ、墓前にお供えする。酔っ払いの浮浪者が一人、RCサクセションの「雨上がりの夜空に」のサビの部分だけをいつまでも繰り返し歌っている。夥しい数の献花と蓋の外されたワンカップの瓶。墓碑の「太宰治」と刻まれた文字に沿って、いくつもの桜桃が埋め込まれ、遠くから紅く浮き出て見えている…。
 
  
 
 生誕100周年。生きていれば百歳。太宰の時代と現代との間に横たわる深淵を感じざるを得ない。帰りに三鷹駅前の書店に立ち寄る。太宰治の特設コーナー。そういえば、最近「太宰のいちばんのお勧めの作品は?」といったアンケートをあちこちで見る。回答者も作家や評論家、女優、タレントまでさまざまだ。熱心なファンの中には、『女生徒』や『正義と微笑』『お伽草紙』『パンドラの匣』などを推し、「有名な作品(『走れメロス』や『斜陽』『人間失格』)は意外とつまらんですよ」と切って捨てる人もいる。しかし『人間失格』が生まれなければ、今日あるような太宰治の“神話”もまた、生まれることはなかっただろう。
 
 
 自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といったようなわけなのでした。
「いいかい? 煙草は?」
 と自分が問います。
「トラ。(悲劇(トラジディ)の略)」
 と堀木が言下に答えます。
「薬は?」
「粉薬かい? 丸薬かい?」
「注射」
「トラ」
「そうかな? ホルモン注射もあるしねえ」
「いや、断然トラだ。針が第一、お前、立派なトラじゃないか」
(略)
「堀木正雄は?」
 この辺から二人だんだん笑えなくなって、焼酎の酔い特有の、あのガラスの破片が頭に充満しているような、陰鬱な気分になって来たのでした。
「生意気言うな。おれはまだお前のように、繩目の恥辱など受けた事が無えんだ」
 ぎょっとしました。堀木は内心、自分を、真人間あつかいにしていなかったのだ、自分をただ、死にぞこないの、恥知らずの、阿呆のばけものの、謂(い)わば「生ける屍(しかばね)」としか解してくれず、そうして、彼の快楽のために、自分を利用できるところだけは利用する、それっきりの「交友」だったのだ、と思ったら、さすがにいい気持はしませんでしたが、しかしまた、堀木が自分をそのように見ているのも、もっともな話で、自分は昔から、人間の資格の無いみたいな子供だったのだ、やっぱり堀木にさえ軽蔑せられて至当なのかも知れない、と考え直し、
「罪。罪のアントニムは、何だろう。これは、むずかしいぞ」
 と何気無さそうな表情を装って、言うのでした。
(略)
 罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容(あいい)れざるもの。罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……などと頭脳に走馬燈がくるくる廻っていた時に、
「おい! とんだ、そら豆だ。来い!」

 
 
 荒戸源次郎監督、主演・生田斗真で来春にも公開されるという角川映画人間失格』では、結末が大幅に改竄される予定という。荒戸は素晴らしい映画人なんだろうとは思うが、プロデューサーを間違えた。リトルモアの孫家邦なら、太宰ファンの度肝を抜く、21世紀の真・『人間失格』を制作したかもしれないのに。
 
 
 太宰治の永遠なる魂のために。合掌。