神の御業、果てしなく永い宇宙時間、そして人類

バチカン舞台の映画「天使と悪魔」 宗教と科学 緊張なお (2009年6月16日付 朝日新聞 文化面)
(抄録)
 
 全国公開中の映画「天使と悪魔」は、世界10億人のカトリック信徒をたばねるバチカンローマ法王庁)が、何者かの攻撃にさらされる話だ。娯楽作品とはいえ、その背景にある「宗教と科学の緊張関係」は現実のものである。
 筋書きは、カトリック教会に迫害されたガリレオ(1642年没)らと18世紀のある秘密結社を結びつける。それが現代によみがえったと思わせる設定で、虚実が交じる。ただ、地動説を唱える者が裁判にかけられたのは事実。ガリレオの正式な名誉回復は1992年になってからだ。
 
 宗教は合理的な説明の及ばない領域を受け持つ。なかでも大きなテーマの一つは宇宙の始まりについて。理論物理学ホーキング博士は著書「ホーキング、宇宙を語る」で、81年の故ヨハネ・パウロ2世との謁見時のエピソードを明かしている。
 「法王は、ビッグバン以降の宇宙の進化を研究するのは大いに結構だが、ビッグバンそれ自体は探求してはならない、なぜならそれは創造の瞬間であり、したがって神の御業なのだから、と語った」
 
 「『無からの創造』そのものは、ただ信仰によって知りうるもの」。法王庁の国際神学委員会は04年の報告書(邦訳「人間の尊厳と科学技術」でそう述べた。「宇宙の大きさと年齢に関する知識によって、人類は、宇宙の中で自らが占める位置と重要性において、ますます小さく、また不確かな存在であるように感じるようになりました」