太宰治 『グッド・バイ』

 私は、純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。まったく利己の心の無い生活。けれども、それは、至難の業であった。私はただ、やけ酒を飲むばかりであった。
 私のもっとも憎悪したものは、偽善であった。
(『苦悩の年鑑』)
 
「お嬢さん。あの時は、たすかりました。あの時の乞食は、私です。」
(『たずねびと』)
 
 2009年6月13日。東京。晴れ時々曇。
 61年前の今日、太宰治玉川上水にて山崎富江とともに入水自殺する。『グッド・バイ』は文字通り絶筆となった。
 
 一眠りして目を醒すと、新聞を手に真鍋呉夫が這入ってきた。
 「太宰さんが失踪してますよ」
 「え? 太宰?」
 と、私は真鍋が差し出す新聞を手に取った。
 大見出しである。読みすすむにつれて、なぜとはなく万事畢ったという感じが湧いて、身裡が変にしびれていった。
 「どうしようかしら、無事だといいんですけど」
 と、真鍋呉夫は立った儘云った。
 「いや、駄目だ今度は」
 と、私は即断した。

檀一雄 『小説 太宰治』)
 
 
 「太宰が死にましたね。死んだから、葬式に行かなかった」
 死なない葬式が、あるもんか。
 檀は太宰と一緒に共産党の細胞とやらいう生物活動をしたことがあるのだ。そのとき太宰は、生物の親分格で、檀一雄の話によると一団中で最もマジメな党員だったそうである。
 「とびこんだ場所が自分のウチの近所だから、今度はほんとに死んだと思った」
 檀仙人は神示をたれて、又、曰く、
 「またイタズラしましたね。なにかしらイタズラするです。死んだ日が十三日、グッドバイが十三回目、なんとか、なんとかゞ、十三……」
 檀仙人は十三をズラリと並べた。てんで気がついていなかったから、私は呆気にとられた。仙人の眼力である。
 太宰の死は、誰より早く、私が知った。まだ新聞へでないうちに、新潮の記者が知らせに来たのである。それをきくと、私はたゞちに置手紙を残して行方をくらました。新聞、雑誌が太宰のことで襲撃すると直覚に及んだからで、太宰のことは当分語りたくないから、と来訪の記者諸氏に宛て、書き残して、家をでたのである。これがマチガイの元であった。
 新聞記者は私の置手紙の日附が新聞記事よりも早いので、怪しんだのだ。太宰の自殺が狂言で、私が二人をかくまっていると思ったのである。
 私も、はじめ、生きているのじゃないか、と思った。然し、川っぷちに、ズリ落ちた跡がハッキリしていたときいたので、それでは本当に死んだと思った。ズリ落ちた跡までイタズラはできない。新聞記者は拙者に弟子入りして探偵小説を勉強しろ。
 新聞記者のカンチガイが本当であったら、大いに、よかった。一年間ぐらい太宰を隠しておいて、ヒョイと生きかえらせたら、新聞記者や世の良識ある人々はカンカンと怒るか知れないが、たまにはそんなことが有っても、いゝではないか。本当の自殺よりも、狂言自殺をたくらむだけのイタズラができたら、太宰の文学はもっと傑れたものになったろうと私は思っている。

坂口安吾 『不良少年とキリスト』)
 
 絶筆。十三回。『グッド・バイ』は太宰が最後に遺した「遺書」とも受け取れるが、内容は荒唐無稽のユーモア小説で、好男子の編集長で、闇商売にも手を染め小金も持っている田島周二(津島修治?)が、妻子との生活を立て直そうと決意するところから始まる。しかし、元来だらしない生活者で、あちこちに十人ちかく愛人を囲っており、これとうまく別れなければいけない。そこで、無学・怪力・大食かつダミ声の持ち主だが絶世の美女でもある永井キヌ子と組んでひと芝居打つことにする…
 
 あたかも筆の赴くまま、取り立てて綿密なプランも立てずに書き始められたように読める「娯楽小説」でありながら、揺るぎのない人物造形と、一毛ほどの無駄もない的確な心理描写の凄まじさ。恐らくは、文筆を生業とするものであれば誰しも、この軽い、軽すぎる小説の重みに戦慄せざるを得ないだろう。中期の作品群にも繋がる上質なエンターテインメント性が漲っている。しかし、太宰は死んだ。最終章のタイトルは「コールド・ウォー」。
 
 「いいかい? たぶん大丈夫だと思うけどね、そこに乱暴な男が一人いてね、もしそいつが腕を振り上げたら、君は軽くこう、取りおさえてください。なあに、弱いやつらしいんですがね。」
 彼は、めっきりキヌ子に、ていねいな言葉でものを言うようになっていた。

(『グッド・バイ』)