交換のロジックになじまないもの

 なぜ大学はタダでなければならないか  金銭になじまぬ認識・感情 / 白石嘉治 (2009年6月10日付 朝日新聞 夕刊 文化面)
(抄録)
 
 大学の進学にはカネがかかる。とりわけ日本の金銭的な負担は突出している。授業料がおおむね無償のヨーロッパ諸国や、返還義務のない給付奨学金が充実している米国などとは比べようもない。そもそも日本学生支援機構の「奨学金」は貸与であり、実質的には教育ローンでしかない。にもかかわらず、日本政府は国際人権A規約は批准しながらその中の「高等教育の漸次的な無償化」(13条2項c)は拒みつづけ、高額な授業料と公的な給付奨学金制度の不在という例外的な状態を放置している
 
 それにしても、なぜ大学はタダでなければならないのだろうか? いわゆる財源は問題にならない。経済規模のより小さな諸国でも、大学の無償化は実現されているのだから。なにより理解すべきは、大学であつかう認識や感情の表現が売買できない性質のものであることだろう。それは物質的な財とは異なり、厳密には交換のロジックになじまない。…大学の無償性の国際的な含意を根本で支えているのは、そうした認識や感情にかかわる営為を金銭の論理によってコントロールすることへの違和感にほかならない。
 
 「ボローニャ・プロセス」と呼ばれる新自由主義的な教育改革が進むヨーロッパは、いま「大学動乱」とでもいうべき状況にある。回帰しているのは、協同組合(ウニベルシタス)という中世以来の大学の原義である。このプリミティブな大学への欲望に金銭のたがをはめることはできないし、日本の現状は解消されなければならない。
 

 本論で白石嘉治も指摘しているように、昨年12月、日本学生支援機構(JASSO)は返還滞納者を信用情報機関に通報する「ブラックリスト化」の決定をした。一方で、JASSOは失業や低所得により返還が困難になった者を対象として、返還期限の猶予を講じることを決定した。しかし、マスメディアを見渡しても、「大学はタダでなければならない」論議を眼にすることはほとんどない。
 
 白石は、今年2月にフランス全土で湧き起こった大学のストライキで、その象徴としてある恋愛小説の古典を例に出す。新自由主義的な改革を迫るサルコジ仏大統領が、ラファイエット夫人の『クレーブの奥方』を挙げ、「こんなものを読んで何の役に立つのだ」と言ったのだ。以後、『クレーブの奥方』は書店で平積みとなり、「学生や教員はそれを手にデモや集会におもむくことになる。『改革』の金銭に対峙しつつ賭けられているのは、書物をひもとき、ゆっくりとものを考え語り合うための共同性を営む権利」(白石)なのだ。