傷のない左側からも

 東松照明 (写真家、「戦後写真の巨人」) (2009年6月8日付 朝日新聞 夕刊 ニッポン人脈記「この1枚の物語1」)
 
 彼女のまなざしは、カメラを構えた東松照明(79)の心の中を、レンズを通してのぞき込んでいるようだ。
 長崎への原爆投下から16年、1961年に撮影された被爆者、片岡津代(88)の顔である。自分をさらすのはつらかった。でも、当時30歳だったカメラマン、東松を信じた。「先生は私に優しかった。心の中で、『片岡さん、つらいね』と言っているように思えた」
 片岡は、浦上天主堂の近くに住むクリスチャン。30人の男から求婚されるほど美しい人だった。あの8月の日、24歳で被爆。3カ月後、道に落ちていた鏡の破片を拾い、自分の顔を見た。右半分がやけただれ、鬼のよう。鏡を地面に投げつけた。(略)
 
 そんな片岡に東松がたどりついたのは、60年に東京であった原水爆禁止世界大会がきっかけ。「終わりがない悲惨」を世界に伝える写真集をつくることになったのだ。広島については土門拳の作品がある。長崎での撮影を、東松が任された。(略)
 
 ローマ法王に謁見するなど片岡は有名になり、多くのカメラマンが訪ねてきた。片岡は「東松照明を知ってるか?」と尋ね、知らないと答えると撮らせなかった。数々のレンズが彼女のケロイドに向かった。「東松先生だけは、傷のない左側からも撮ってくれた」