ピアニストを撃つな

 寺山修司はかつてこう書いていた、――ニューオーリンズのある酒場に入ったところ、ピアニストが演奏している壁に、「どうかピアニストを撃たないでください」という貼紙がしてあったという。…芸術家だけはいざこざの犠牲に巻き込むな、祭儀的な人間は大切にしろ…
 
 今日、マスメディアがこぞって賞賛した全盲ピアニスト・辻井伸行の偉業は、神の天分、まさに「祭儀的な領域」を想起させる。テレビ画面を通して目撃した彼の姿は、どこにでもいるような茶目っ気の強い20歳の青年に他ならなかったが。天才の境界というのは、およそ凡人には想像がつかないものだ。しかし、その偉大の一端は、「全盲の朗読者」という比喩を思い浮かべることで、ようやくおぼろげなりとも想像することができるだろう。

全盲ピアニスト辻井伸行さん、米のコンクールで優勝 (www.asahi.com 2009年6月8日11時28分)
 
 生まれつき全盲辻井伸行さん(20)が7日、米国のバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した。辻井さんは幼いころから「神童」と注目を集めてきた。中国人男性とともに2人が1位となった。辻井さんはテキサス州フォートワースの会場で「両親をはじめ、サポートしてくれたみなさんに喜びの気持ちを伝えたい」と語った。
 
 コンクールでは、ショパンなどの曲目をこなし、「神業」と評価を得た。弦楽四重奏との演奏では、頭を振って息を合わせ、最終日の演奏が終わると、何度も「ブラボー」の歓声がわき起こった。
 「とにかく自分の力が出し切れたので幸せです。お客さんが感動してくれたのが一番うれしい。テキサスの観客はとても温かかった」と辻井さん。全盲というハンディについては「障害者というより、一人のピアニストとして聴いてくれた手応えがあるので、それがとてもうれしい」と話した。
 
 辻井さんは4歳からピアノを習い始めた。音に対する感覚が鋭く、先生が左手と右手に分けて演奏した録音テープを繰り返し聴いて曲を覚えた。筑波大付属盲学校小学部に入学した95年、7歳で全日本盲学生音楽コンクールの1位になり、97年にはモスクワ音楽院大ホールの記念コンサートに出演。00年には台湾でリサイタルを開き、さらに米カーネギーホールの演奏会に出演するなど、国内外で多彩な演奏活動を重ねてきた。東京音大付属高校を経て、現在は上野学園大学3年生。 (略)
 
〈バン・クライバーン国際ピアノコンクール〉 冷戦時代にソ連のコンクールで優勝し、後に米国の文化使節として活躍したピアニスト、バン・クライバーンの名を冠した国際コンクール。62年の創設以来、おおむね4年おきに開かれてきた。優勝賞金は2万ドル。3年間のコンサートツアーやCD録音の権利も得られるなど、他のコンクールに比べて受賞後の支援が手厚いことで知られる。日本人の優勝者は辻井さんが初めて。