池谷裕二 『単純な脳、複雑な「私」』

「脳の中身が変わっても、前と同じ僕だと言えるのでしょうか?」
 
 これはTVドラマ『MR.BRAIN』第1話の最終盤で、木村拓哉扮する主人公・九十九龍介が脳外科医に語りかけた台詞。いまや「脳科学ブーム」は小説や映画、クイズ、ゲーム(脳トレ)などエンターテインメント分野のみならず、教育から広告・マーケティング分野に至るまで、あらゆる領域を席巻しつつある感がある。
 ジャングルの草むらに見え隠れするライオンの姿を総合的に判断する「ゲシュタルト群化原理」や、人の顔は左半分しか見ていない「左脳と右脳の原理」、部分から全体を類推する「パターン・コンプリ―ション」など、『MR.BRAIN』には池谷裕二の『単純な脳、複雑な「私」』でも紹介されている脳科学研究の一端が面白く料理され演じられていた。
 
 ところで、本書を読んでまず最初に面白かったのは、「因果関係は絶対に証明できない」という話。
 
 ――では、科学的に因果関係を導き出せないとすると、この世のどこに「因果関係」が存在するのでしょうか。答えは「私たちの心の中に」ということになります。つまり、脳がそう解釈しているだけ。因果とは脳の錯覚なわけです。 (p.26)
 
 すなわち、脳は嘘をつかない。しかし、生存戦略上、錯覚ばかり起こしているということ。
 
 ――哲学では「存在とは何ぞや」と、大まじめに考えていますが、大脳生理学的に答えるのであれば、存在とは「存在を感知する脳回路が活動すること」と、手短に落とし込んでしまってよいと思います。…つまり「真実」については、脳は知り得ない… (p.34)
 
 日常は根拠のない信念に支配されており、嗜好や記憶ですら知らぬ間にすり替わることがある。「私の身体は頭がいい」というタイトルがあるが、まさに脳は身体を介して、自分自身を把握する。「身体なき脳」は、残念ながらSFの話でしかないという。
 そんなヒトの「脳」の全容を解明し尽くそうと動いているプロジェクトがある。一つは大脳皮質の回路構造をコンピュータでシミュレーションしてみようという「ブルー・ブレイン・プロジェクト」、もう一つは脳をすみずみまで電子顕微鏡で精査するという「コネクトーム」。このプロジェクトが進めば、やがてはニューロンの数(1000億よりは1桁少ない?)も判明することだろう。
 
 ほかに、数学者アラン・チューリングの「チューリング・テスト」の話、「自由は、行動よりも前に存在するのではなくて、行動の結果もたらされるもの」であるという話、「脳のゆらぎ(ノイズ)」の話など。数少ないルールの連鎖が、強靱な意志を持ったように行動パターンを変える(創発)。
 
 日本の都市の人口や単語の出現頻度、所得など「人間社会の現象」、あるいは地震や土砂崩れ、雪崩、ガラスを割ったときの破片の大きさ、宇宙に浮遊する隕石の大きさ、月のクレータ径、各遺伝子の使用頻度などの「自然界の現象」……これらは「べき則」の分布に従っている(対数軸にプロットすると直線になる)。これは裏を返すと「その現象の裏に、なんらかの生成の『ルール』が存在していること」をほのめかしている。(p.360)(cf. 「1/fのゆらぎ」)
 
 「脳」を使って「脳」を考える。――僕らはこのリカージョン(=再帰入れ子構造。フィードバック回路の特殊なタイプ)を無限に続けられるから、「無限∞」という概念が獲得できる。同時に「有限」というものを理解し、ヒトの欲望は過剰になった。だが、リカージョンをする集合体は必ず矛盾をはらんでしまう(ラッセルのパラドックス)。脳科学は脳を脳で考える学問だから、その論理構造上そもそも「解けない謎」に挑んでいる可能性があるとも言う。気鋭の脳科学者が「逆説」に向かって疾走する、第一級のスリリングな哲学書