大学に成果主義はなじむのか?

大学への予算配分に成果主義 財務省、研究実績など重視 (www.asahhi.com 2009年5月15日23時35分)
 
 財務省は、大学への予算配分の際、学生や教員数などの「規模優先」を改め、学生の学力向上や研究業績などの結果を重視する方向で検討に入った。学生の学力低下や定員割れ大学の急増への危機感から、成果主義の拡大を図る。大学の統廃合などの再編や定員の削減も求める方針だ。
 
 財務相の諮問機関の財政制度等審議会西室泰三会長)に15日報告した。財政審も基本的に同意し、予算編成の方向を示す「建議」に盛り込まれる見通しだ。
 
 財務省によると、08年度は全国の私立大学の47%で定員割れが起きた。少子化の影響で、98年の8%、03年度の28%から急増している。
 また国公立大学を含め、推薦やAO入試が増えたこともあり、大学生の学力低下が指摘されている。35大学で調査したところ、国立大の6%、私立大の20%の学生の英語、国語、数学の基礎学力が中学生レベル以下だったという。
 
 財務省は今後、文部科学省や各大学に、入試のあり方の見直しのほか、大学数や入学定員を少子化に見合う規模に縮小するよう求める。また、大学や学部、研究ごとに厳格な目標を設定し、成果に応じた予算配分を目指す。「基礎的運営費」などすべての大学に交付してきた予算は比率を下げる考えだ。
 

 かつて、ベルリン大学を創設したプロシア言語学者で教育相も務めたヴィルヘルム・フォン・フンボルトは、「大学」と「学校」の役割の違いを明確に定義づけ、近代的な大学の理念を確立させたことで広く知られる。すなわち、教師が無知な生徒を指導し教授する場が「学校」であり、教授と学生が同じ立場で真理を追究する場が「大学」である、というものだ。
 
 しかし、高等教育のユニバーサル化が進んだ現代日本において、大学の「学校化」は目を覆うものがある。教養主義の没落、理想主義的なものに対するニヒリズム。そして財務省による高等教育の切り崩しはさらに加速する。文教施策に市場原理はなじむのか? 政治主導による反省なき大学改革は、象牙の塔を徹底的に破壊し尽くしつつある。
 
 とりわけ、なぜ文部科学省ではなく「財務省」であり、「財政制度等審議会」なのか。国立大学の独立行政法人化、改正教育基本法に盛り込まれた「条件ある大学」像、そして今回の予算配分に見る成果主義の拡大。その先にある高等教育のグランドデザインは、いったい誰が、どのように描いているのだろうか?