小室直樹 『日本人のための憲法原論』

第1章   日本国憲法は死んでいる
第2章   誰のために憲法はある
第3章   すべては議会から始まった
第4章   民主主義は神様が作った!?
第5章   民主主義と資本主義は双子だった
第6章   はじめに契約ありき
第7章   「民主主義のルール」とは
第8章   「憲法の敵」は、ここにいる
第9章   平和主義者が戦争を作る
第10章  ヒトラーケインズが20世紀を変えた
第11章  天皇教の原理
第12章  角栄死して、憲法も死んだ
第13章  憲法はよみがえるか

 
 六法全書をひもとくと、「決闘罪ニ関スル件」や「物価統制令」など、明治年間、あるいは戦後間もない頃に制定された古い法律が今でも記されている。けれども、法律は一度作られたら、それが議会で廃止されたり、最高裁違憲判決を下されたりしない限り「生きつづけて」いる。だが、憲法は、公式に廃止を宣言しなくても死んでしまうことがある、と小室直樹は言う。そのもっとも著名な例がドイツのワイマール憲法だ。憲法の専門家は議会で「全権委任法」が可決された1933年3月23日、すなわち議会が立法権ヒトラーに譲り渡してしまったこの日をもって、ワイマール憲法は「死んだ」と見なすのだという。
 では、日本の憲法はいったい生きているのか、それとも死んでいるのだろうか。
 
憲法とは国民に向けて書かれたものではない。…国家権力すべてを縛るために書かれたものです。 (p.53)
 
戦国時代には武士道はなかった。武士道ができるのは江戸時代になってからだし、武士道ができても赤穂浪士以外、誰も主人の仇を討とうとはしなかった。…ヨーロッパ中世では、主従関係は契約に基づいています。その契約の中に「もし王が討たれたら、かならず仇を討つ」という項目があれば、それを実行するのは当たり前のこと。…日本の家来どもの方が、ずっと頼りにならない。すぐに裏切る。 (p.71〜72)
 
過去にあったことを、ただそれが過去にあったという理由で、それを将来に向かって自分たちの行動の基準にする(大塚久雄)…マックス・ウェーバー「永遠の昨日」 (p.76)
 
1348年前後から起きた黒死病(ペスト)の大流行と、1096年に始まった数次の十字軍が封建領主を没落させた(中世社会の解体)。 (p.78)
 
1215年6月15日に公布された「マグナ・カルタ」(大憲章)は(…)一部の特権階級の既得権を守るためのもの (p.88)
 
ジャン・ボダンは1576年、『国家に関する6章』を著して、その中で「主権」という概念を提唱した。(絶対王権の理論的根拠) (p.100)
 
ジャン・カルヴァンの「予定説」こそが、絶対王権にとどめを刺し、そればかりか民主主義を産み出すことになった。 (p.106)
「予定説」を信じると外面に現れている行動そのものも変わってしまう(ウェーバーエートスの変換」) (p.177)
 
中世を終わらせたのが予定説だとすれば、ロックの思想はヨーロッパ近代の基礎を作ったものと言えるでしょう。この2つの思想が揃って初めて、近代民主主義は生まれたのです。 (p.185)
 
バビロン捕囚という体験によって、古代イスラエル人は、ユダヤ人へと変身した。 (p.250)
 
(デモクラシーは「最悪の政治」であり、「禁句」だったが)1917年2月、時のウィルソン大統領が開戦時に言ったセリフ「世界を民主主義のために安全にする」を境にして、デモクラシーはようやく市民権を得る (p.269〜270)
 
ナポレオン法典は「近代資本主義の基本法」 (p.293)
 
ケロッグ=ブリアン条約(1928年)「国際紛争解決の手段としての戦争(を放棄する)」 (p.305)
 
クラウゼヴィッツ戦争論』「戦争は他の手段による政治の継続である」 (p.308)
 
セイの法則(供給は需要を作る)が成り立つのであれば、古典は経済学は成立する。そうでなければ、古典派は役に立たない。 (p.353)
有効需要は雪だるま式に膨らむ(公比-1