無定形さと「文化独裁」

米グーグルへ怒りと危機感 詩人・谷川さんらが会見 (www.asahi.com 2009年4月30日21時4分)
 
 インターネット検索最大手の米グーグルが進める書籍検索サービスについて、詩人の谷川俊太郎さん、作家の三木卓さんらが30日、東京都内で記者会見し、著作権侵害の恐れがあると危機感を訴えた。
 谷川さんは「利用に応じてどれだけの著作権料が支払われるのかが不透明。グーグルはやり方が一方的で、グローバリズムのごうまんさを感じる」。三木さんは「ネットは公共のものというイメージがあるが、ネット上でどう作品を扱うか決めもしないのは納得がいかない。一種の文化独裁だ」と怒りをあらわにした。
 
 このサービスを巡っては、著作権侵害を訴える米国の作家らが起こした集団訴訟が和解で決着。この効力が日本にも及ぶことになった。これに対し、谷川さんら日本ビジュアル著作権協会に属する会員180人が和解集団からの離脱を通知した。代理人鈴木淳司弁護士は「和解すれば、なし崩し的に商業利用される恐れがある。ゼロベースで交渉したい」と述べた。
 離脱通知の期限は当初、5月5日だったが、ニューヨーク連邦地裁は28日、申請期間を9月4日までに延長した。
 一方、日本文芸家協会は会員らに意思確認の調査を行い、4月27日の時点で回答者の8割強に当たる2197人が「和解した上でグーグルの書籍データベースからの著作物の削除を望む」と回答している。
 

 新しいテクノロジー(=権力)の擡頭に対し、無批判的に賛同することが不用意な態度であること、それゆえに「否!」を投げつけたくなる感覚は分からなくもないが、それでも消費者の立場から言えば、Googleの書籍検索サービスには大いなる期待を抱かずにはいられない。
 
 例えばAmazonでは、購入前に書籍の一部を(とはいっても目次と本文数ページ分に過ぎないが)「なか見!検索」できるものがある。著作権の切れた名作であれば、「青空文庫」で全文を読むこともできる。とはいえ、大概の書籍については実際に書店で手に取るかしなければ、中身を確認することはできない。ぼくの場合、参考文献などから書名を知り、気にはなるけれども店頭ではなかなか見つからないような本の場合、いったんは図書館から借りてきて、中身を確認してから購入するようにしている。それでも、時間の都合や煩雑さなどから、ほとんど「あて勘」で注文することも少なくない。それで、実際に届いた本を手に取って、期待外れにがっかりしたことも一度や二度ではないのだ。
 
 著作権云々もいいけれど、書物はニンジンやピーマンなどとは異なり、読者にその存在を認知されなければ、買われることも絶対にない。また、すぐれた書物にはいわく言い難い所有欲をそそる魅力が秘められている。それはディスプレーに表示された「検索結果としての」テキストの羅列では決して満たされることのない「何か」だ。テクノロジーそのものに対する筆舌に尽くしがたい違和感、畏怖の感覚は十分に理解できるけれども、それであれば、今日の「複製印刷技術」自体、古代人から見れば忌まわしくも恐るべき呪物崇拝(フェティシズム)の産物に過ぎないのではなかったか。