佐藤優 『テロリズムの罠 左巻――新自由主義社会の行方』

 本書「左巻」は、著者が角川学芸出版ウェブマガジン『WEB国家』に連載した「国家への提言」のうち、新自由主義が日本の国家と社会に与える影響について書いた論考に加筆、編集を加え、「『蟹工船』異論」を書き下ろしたもの(第1部「滞留する殺意」、第2部「沈みゆく国家」)。「国家と社会がもつ暴力を加速する」傾向がある新自由主義の流れを食い止めなくてはならない、というのが本書での佐藤優の一貫した主張だ。
 
 第1章「国家と社会と殺人」では、2008年6月8日昼過ぎに発生した秋葉原無差別殺傷事件を皮切りに、6月17日に密かに執行された3人の死刑囚(宮崎勤陸田真志、山崎義雄)の刑執行との連関に言及し、裁判員制度の導入と絡めて「国家の弱体化」を指摘する。中では、「死刑という剥き出しの暴力によって国民を抑えるような国家は弱い国家である。(…)それ故に死刑は、基本的に廃止すべきと考える。基本的と留保をつけるのは、対外インテリジェンス(諜報)業務に関しては、自ら手を挙げて諜報業務についた者が、国家を裏切り、外国から侵略される可能性を招いた場合に限り、死刑を残しておかなくてはならないと考えるからだ。この場合、死刑を定めておかないと、国家が裏で当該人物を超法規的に抹殺してしまう可能性が高まるからだ」という一文が佐藤らしくて面白かった。
 
 第2章「『蟹工船』異論」は滑稽なほどナイーブでノンポリティカルな今日の若者および迎合的なジャーナリズムに対する苛立ちと批判が興味深い。
 
 第4章「農本主義と生産の思想」では、著者がしばしば言及する権藤成卿の『君民共治論』を手がかりに、「社稷国家」とは何かを考察する。佐藤によると、「社」は土地の神、「稷」は穀物の神を意味し、「上から暴力によって押しつけられた支配者の国家ではなく、土地と結びついた祭祀共同体を基礎にする下からの国家」が「社稷」であるという。権藤は、“真の改革”として「天皇と国民の間を遮断する財閥や官僚の否定的役割を除去し、君民共治という日本の伝統を回復」を目指したが、一方で当時、期待感の高かった職業軍人の「本質」を冷徹に認識し、「軍人=官僚による世直しの罠」に陥ることがなかった点を佐藤は重要視する。
 
 第6章「情報漏洩」は、2008年1月に露見した、内閣情報調査室の男性職員による駐日ロシア大使館員への情報提供と、その見返りとしての金銭授受(男性職員は事件発覚を受け、国家公務員倫理法違反に基づき懲戒免職)事件から、インテリジェンス活動の内実(コリント=コレクティブ・インテリジェンス「協力諜報」や非合法ヒュミント=ヒューマン・インテリジェンス「人間による情報収集活動」)について言及する。