「転向」――積み残された“知”の瓦礫を嗤う

構造改革の旗手、行き過ぎた市場経済を批判  中谷巌氏「転向」の波紋 (2009年3月14日 朝日新聞 文化面)
 
 小渕内閣の経済戦略会議議長代理として構造改革の旗振り役だった中谷巌三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長が市場経済の行き過ぎ批判への「転向」を表明した『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)が、経済学者らの間で賛否両論の波紋を広げている。主張変更は是か非か、責任をどうとるべきか。議論は経済論壇のあり方にまで及んでいる。
 
 同書は昨年末の発売。部数は経済書では異例の13万部に達し、ベストセラーを更新中だ。アメリカ主導のグローバル資本主義新自由主義的政策は貧困や格差拡大を生み社会を破壊したから、日本の伝統や文化をふまえ、北欧などもモデルに方向転換せよ――。明快な趣旨が、自伝風、社会論風に述べられる。
 「日本人の気質に合った日本にふさわしい経済構造の構築を訴えかけている」と好意的に論評したのは慶大准教授の土居丈朗氏(1月11日付読売新聞)。京大名誉教授の伊東光晴氏も、自らの非を認めた「著者は正直である」と皮肉を交えて評価した(2月8日付毎日新聞)。
 
 しかし東大教授の松原隆一郎氏は「経済情勢が変わるくらいで、立場を簡単に変えるべきではない」と憤る。中谷氏は、これまでも日本的経営をめぐり自説を修正してきた。「時流を意識したとしか思えない。彼らの政策で首をつった人もいるかもしれない。倫理的・道義的責任を自覚しているのか」
 
 経済は水物だけに、主張の変更自体を否定する意見は少数派だ。だが、「根本的な一貫性がみえること、変える以上は大きな世界観で、独自の理論を示してほしい」とくぎをさすのは慶大教授の金子勝氏。その点、専門家から得た知識を援用し、欧米の一神教思想との比較論などを持ち出す中谷氏の手法に批判は多い。早大教授の若田部昌澄氏は「経済学者なら、経済学的知見をもって語るべきだ。格差の原因も、経済学的に精査すべきだろう」と話す。
 
 知識人の作法の点で首をかしげる向きもある。一橋大教授の齊藤誠氏は「命がけのはずの『転向』や宗教的意味がある『懺悔』と言う言葉を大げさに使ってほしくない」と沈黙を促す。同志社大教授の橘木俊詔氏も「メディアでの発言をやめるくらいなら気骨を感じるのに、これではオピニオンリーダーが自由をエンジョイしただけ」と厳しい。