太宰治 『父』

    イサク、父アブラハムに語りて、
    父よ、と曰ふ。
    彼、答へて、
    子よ、われ此にあり、
    といひければ、
                   ――創世記二十二ノ七

 今日(3月4日)は、父の命日だ。直接的だけれど、この季節になると、太宰治の『父』を思い出す。短編集『ヴィヨンの妻』所収、新潮文庫で十数ページ足らずの掌編であり、かつ冒頭の3ページほどは旧約聖書『創世記』のアブラハムとイサクの有名な燔祭のシーンが続く。「子別れ」を演じる39歳の小説家。「その義とは、義とは、ああやりきれない男性の、哀しい弱点に似ている。」というオチが、太宰のほかの短編と比べ特に際立って優れているとはとても思えないけれども、13歳で初めてこの小説を読んだときの、アブラハムとイサクの「子別れ」は衝撃だった。
 
 日本聖書教会刊行の『アート・バイブル』によれば、レンブラントやデル・サルト、マンテーニャ、マルク・シャガール、カラヴァッジョ、パオロ・ヴェロネーゼなど、旧約聖書中でも屈指の有名な物語である『イサクの犠牲』を描いた絵画は数多いが、太宰はこの神話を、唐突に、かなしい時代の、愚かしい人間の身の上に投げかけ、光を当てる。その「唐突さ」を、読む者に受け入れさせるうまさが、太宰の真骨頂というべきか。
 
 なお、いまさら言うまでもないが、新潮文庫版『ヴィヨンの妻』には、表題作をはじめ「子供より親が大事」で有名な『桜桃』、諸悪の本(もと)と断じた『家庭の幸福』、『トカトントン』(真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。不尽。)、ほか『おさん』『母』『親友交歓』など、まさに太宰のイメージを裏切らない短編8編が収められている。作品が発表されたのは終戦間もない昭和21〜23年。こんな時代もあったのだ。

 義のために、わが子を犠牲にするという事は、人類がはじまって、すぐその直後に起った。信仰の祖といわれているアブラハムが、その信仰の義のために、わが子を殺そうとした事は、旧約の創世記に録されていて有名である。
 ヱホバ、アブラハムを試みんとて、
 アブラハムよ、
 と呼びたまふ。
 アブラハム答へていふ、
 われここにあり。
 ヱホバ言ひたまひけるは、
 汝の愛する独子、すなはちイサクを携へ行き、かしこの山の頂きに於て、イサクを燔祭として献ぐべし。
 アブラハム、朝つとに起きて、その驢馬に鞍を置き、愛するひとりごイサクを乗せ、神のおのれに示したまへる山の麓にいたり、イサクを驢馬よりおろし、すなはち燔祭の柴薪をイサクに背負はせ、われはその手に火と刀を執りて、二人ともに山をのぼれり。
 イサク、父アブラハムに語りて、
 父よ、
 と言ふ。
 彼、こたへて、
 子よ、われここにあり、
 といひければ、
 イサクすなはち父に言ふ、
 火と柴薪は有り、されど、いけにへの小羊は何処にあるや。
 アブラハム、言ひけるは、
 子よ、神みづから、いけにへの小羊を備へたまはん。
 斯くして二人ともに進みゆきて、遂に山のいただきに到れり。
 アブラハム、壇を築き、柴薪をならべ、その子イサクを縛りて、之を壇の柴薪の上に置せたり。
 すなはち、アブラハム、手を伸べ、刀を執りて、その子を殺さんとす。
 時に、ヱホバの使者、天より彼を呼びて、
 アブラハムよ、
 アブラハムよ、
 と言へり。
 彼言ふ、
 われ、ここにあり。
 使者の言ひけるは、
 汝の手を童子より放て、
 何をも彼に為すべからず、
 汝はそのひとりごをも、わがために惜まざれば、われいま汝が神を畏るるを知る。
 云々というような事で、イサクはどうやら父に殺されずにすんだのであるが、しかし、アブラハムは、信仰の義者たる事を示さんとして躊躇せず、愛する一人息子を殺そうとしたのである。
 洋の東西を問わず、また信仰の対象の何たるかを問わず、義の世界は、哀しいものである。