内田樹 『私家版・ユダヤ文化論』

ジェイコブ・シフ(ドイツ生まれ、ユダヤ系銀行家。クーン・ローブ商会グループ総帥)
  帝政ロシアポグロム(反ユダヤ的暴動)に怒り、日露戦争時に日本の戦費調達に協力。ロシア政府発行の戦時公債の引き受けを欧米の銀行に拒絶させる
「Juif est Juif.」 ユダヤ人:異教徒、神殺し、守銭奴ブルジョア、権力者、売国奴
 
(1) ユダヤ人は国民名ではない
  イスラエル: セファルデーム系は「ラディノ」。アシュケナジーム系は「イディッシュ」 20%はイスラム
(2) ユダヤ人は人種ではない
  ナチス・ドイツニュルンベルク法: 1215年の第4回ラテラノ公会議における「ユダヤ人規定」を復活
(3) ユダヤ人はユダヤ教徒のことではない
  ニュルンベルク法と「ホロコースト
 
カール・マルクスユダヤ人問題のために』: ユダヤ人(という悪夢)からの解放
ユダヤ人は「ユダヤ人を否定しようとするもの」に媒介されて存在し続けてきた
私たちはユダヤ人について語るときに必ずそれと知らずに自分自身を語ってしまう
 
エドゥアール・ドリュモン『ユダヤ的フランス人』(近代反ユダヤ主義のバイブル)
  誰がユダヤ人であるかは私が決める(同語反復)
J-P・サルトル: 「ユダヤ人とは実定的な存在ではなく、反ユダヤ主義者が幻想的に表象したものである」(社会構築主義
  どこまで遡っても、そこから出発することのできない同語反復の始点=終点
 
私たちは、ユダヤ人と非ユダヤ人を対概念として社会を区分する習慣を持った文明の中に生きている。つまりユダヤ人というのは、すでに私たちがそれなしには社会を分節できないような種類のカテゴリーなのである。(p.52)
すべての言葉は「隠されたシニフィアン」(ラカン
ユダヤ人と非ユダヤ人」という対立の法が「現実の世界に骨組みと軸と構造を与え、現実の世界を組織化し、人間にとって現実を存在させ」たのである
 → 「ユダヤ人という概念がまだ存在しない世界」から「ユダヤ人がいる世界」への「命がけの跳躍」がなされたときに、世界は何を手に入れたのか?
 
ノーマン・マクレオド『日本古代史の縮図』(1875)……日猶同祖論
  中田重治、佐伯好郎、小谷部全一郎 → 選民思想(皇国イデオロギー
  5C 秦氏が中国から日本に渡来 太秦:うづ(イエス)+まさ(メシア)(佐伯説)
『シオン賢者の議定書(プロトコル)』
 
陰謀史観は「ペニー・ガム法」(分子生物学者ルドルフ・シェーンハイマー)に基づく歴史解釈
フランス革命ユダヤ人陰謀説: オーギュスタン・バリュエル(1741〜1820) フリーメーソン陰謀工作説から宗旨替え
「オーサーが存在する」というスキームが重要
 
ユダヤ的フランス』3つの主題群(p.117)
・伝統的な反ユダヤ主義的妄説
アーリア人セム人の人種対立が世界史の原動力である
近代主義批判「鋼鉄の世紀が終わり、貨幣の世紀が始まる」
   既存の業種から閉め出されたユダヤ人たちには、流通、金融、運輸、通信、マスメディア、興行といった新興の業界やニッチ・ビジネスに雪崩れ込む以外に選択肢がなかった。
   → ドリュモンが恐れ、嫌悪していたのは、ユダヤ人ではなく、近代化=都市化の趨勢そのものであった
 
ユダヤ化」からフランスを救うべき革命主体として2種類の社会集団(革命的労働者と、キリスト教保守主義者)を指名したその時に、その後「ファシズム」と呼ばれることになる政治思想の原型が胚胎した(p.124)
  → モレス侯爵(世界最初のファシスト) 「祖国は今やユダヤ人のために破滅に瀕している」
 
フランス・ファシズムの基本的話形
 ドリュモン、モレス侯爵、バレス → モーラス、モーニェ、ドリュ・ラ・ロシェルモーリス・ブランショ
自分から最も遠いカテゴリーの人がそばにいるときにこそ、自分が何ものであるのか確信が持てる。それゆえにファシストは自分と最も遠い人々のうちに同伴者を捜し求める。(p.151)
ニーチェの「超人」はつねに「大衆」が嫌悪感を供与してくれることを要請する
 
いかなる政治的・社会的提言をもってしてもユダヤ人問題の最終的解決に私たちは至り着くことができない(p.162)
ユダヤ人問題は私たちの社会に構造的にビルトインされている  <幻想的根拠>
 
ローレンス・トーブ: 21世紀中頃には北米における反ユダヤ主義が激化し、多数のアメリカのユダヤ人がイスラエルに移住。
 
ノーベル賞受賞者におけるユダヤ人(全世界の0.2%)の突出ぶり
  医学生理学賞48人(26%) 物理学賞44人(25%) 化学賞26人(18%)
映画: メジャー7社のうち6社はユダヤ人が創設
現代思想: マルクスフロイトフッサールレヴィナスレヴィ=ストロースデリダ
「自分が現在用いている判断枠組みそのものを懐疑する力と『私はついに私でしかない』という自己繋縛性を不快に感じる感受性」
 
ユダヤ人にとっての「ふつう」を非ユダヤ人が「イノベーティヴ」と見なしている。(p.179)
ユダヤ人が例外的に知性的なのではなく、ユダヤにおいて標準的な思考傾向を私たちは因習的に「知性的」と呼んでいるのである。
 
ユダヤ人はどうしてこれほど知性的なのか?
<第一の答え> ユダヤ人の「例外的知性」なるものは、民族に固有の状況がユダヤ人に強いた思考習慣、つまり、歴史的に構築された特性である。ユダヤ人たちは反ユダヤ主義者に「捕食」されないために、ビジネスマインドや学術的才能を「やむなく」選択的に向上させていった。(社会構築主義サルトルら)
<第二の答え> ユダヤ人の「例外的知性」なるものは、民族に固有の歴史的使命ゆえに彼らが習得し、涵養せざるを得なかった特異な思考の仕方の効果である。
 
敬虔なキリスト教徒であり、近代的なヒューマニストであることは、大量殺人者であることを少しも妨げない(サルトル
(1933〜45年にかけて)『イザヤ書』53章に書かれてある通りのことがその身に起きた(略)イスラエルは再び世界の宗教史の中心におのれの姿を見出した。(レヴィナス
 
反ユダヤ主義者からの「名指し」によって(サルトル)、「私はここにおります」(Me Voici)という応答によって(レヴィナス)、「始源の遅れ」を引きずって歴史に登場する。それがユダヤ人の本質規定である。
 
ユダヤ人は自分がユダヤ人であることを否定するわずかによけいな身ぶりによって、自分がユダヤ人であることを暴露する存在として構造化されている。「ユダヤ人が、『ユダヤ民族は存在しない』と決定したとしても、その挙証責任はユダヤ人に帰する。ユダヤ人であるとは、ユダヤ的状況のうちに投じられ、見捨てられていることなのである」(サルトル
反ユダヤ主義階級闘争の神秘的、ブルジョア的表象の一つに他ならないということであり、反ユダヤ主義は階級なき社会には存在しえない」
 
ユダヤ人はこの「世界」や「歴史」の中で構築されたものではない。むしろ、私たちが「世界」とか「歴史」とか呼んでいるものこそがユダヤ人とのかかわりを通じて構築されたものではないか。
 
ユダヤ人は<悪しき父>、子供を折檻し、処罰し、殺害する父を表象している。子供はこの「悪しき<父>」「恐るべき<父>」を憎み、殺害し、完膚なきまでに破壊することを切望すると同時に、そのような攻撃的感情を抱いている自分自身に強い有責感を覚える(「悪魔」の表象)。(ノーマン・コーン)
 
フロイト『トーテムとタブー』の「引き受け手のいない殺意」(p.204)
 
反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりに激しく欲望していた。
フロイト「原父殺害」: 罪深い行為がまず行われ、それが無意識に抑圧されるとき、その有責感が外部に投影され、「強力な迫害者」の形象をとって戻ってくる(投射) → 宗教(神)の概念の誕生 「神とは要するに高められた父にほかならない」
 
宗教の起源 = 反ユダヤ主義の起源
ユダヤ教の時間意識は「アナクロニズム」(時間錯誤) → 人間は不正をしたがゆえに有責であるのではない。人間は不正を犯すより先に不正について有責なのである(レヴィナス
→ ユダヤ人の思考の根源的な「特異性」に、非ユダヤ人は激しい欲望を喚起し、その欲望の激しさを維持するために無意識的な殺意が道具的に要請される
 
「神はなぜ手ずから悪しき者を罰されないのか」「神はなぜ手ずから苦しむ者を救われないのか」。これは幼児の問いである。(略)罪なき人が苦しみのうちで孤独であり、自分がこの世界に残されたただ一人の人間であると感じるとしたら、「それはおのれの双肩に神のすべての責任を感じるためである」。 → 受難はユダヤ人にとって信仰の頂点をなす根源的状況なのであり、受難という事実を通してユダヤ人はその成熟を果たすことになる。(p.227)