「暴力による言論封殺」を許すもの

政権批判 守れぬロシア  弁護士・女性記者射殺 (2009年2月13日 朝日新聞 国際面)
 
 モスクワでまた、人権派弁護士と政権批判で知られる新聞社の女性記者が射殺された。白昼、しかも現場はクレムリンに近い中心部。犯人は逃走し、背景は不明だ。「批判を許さない空気がロシアの市民社会を覆っている」。相次ぐ凶弾に、言論にはそんな危機感が募る。
 
ブログに「地獄へ」
 1月19日の夕暮れ、弁護士のマルケロフ氏(34)はモスクワ中心部で記者会見を終えて地下鉄駅に向かっていた。並んで歩いていたのは昨秋からノーバヤ・ガゼータ紙で嘱託として働いていたバブロワ記者(25)。会見の開始に遅れ、追加の質問をしていた。
 捜査当局の調べなどによると、男が背後から近寄り、マルケロフ氏の頭部を撃ち抜いた。男は続いてバブロワ記者の頭を撃ち、逃走した。
 マルケロフ氏は、チェチェン戦争下での人権侵害事件で被害者の弁護にあたってきた。00年にロシア軍元大佐が18歳のチェチェン人女性を暴行し死亡させた事件の遺族側代理人だったが、03年に禁固10年の判決を受けた元大佐が1月15日に刑期を残して釈放された。記者会見はその釈放に抗議するものだった。
 同氏は06年に射殺されたアンナ・ポリトコフスカヤ記者(当時48)とも親しかった。ノーバヤ・ガゼータ紙で、チェチェン戦争で武装独立派を制圧した当時のプーチン政権の人権弾圧や、同政権からチェチェン共和国統治を任せられたカドイロフ大統領下での汚職などを追及していた女性記者だ。射殺事件はロシアの言論の危機を象徴する事件になった。マルケロフ氏はチェチェン政権による人権侵害事件の弁護にもあたっていた。
 ただ、今回の事件の背景にはチェチェン絡み以外の動機があった可能性も消せない。
 無視できないのが、近年勢力を増すファシスト国粋主義者)関与説。マルケロフ氏は06年にモスクワでネオナチ・グループによる集団暴行で反ファシズム活動家が死亡した事件でも検察に捜査を働きかけて結果的に実行犯3人の実刑を引き出した。極右団体のウェブサイトで殺害計画をほのめかされたこともある。
 バブロワ記者の本来の取材テーマも民族主義や極右勢力だった。事件後、同紙のブログには「2人のロシア嫌いを地獄に送ってやった」など、こうしたグループによるとみられる書き込みが続いた。
 また、マルケロフ氏はモスクワ近郊自治体の汚職や職権乱用を批判して暴漢に襲われた地域紙編集長の弁護活動もしていた。事件とこの活動の関連を疑う見方もある。
 
柔軟さを失う世論
 今月1日、零下のモスクワで2人の死を悼む集会に約400人が参加した。事件2カ月前のマルケロフ氏の演説が録音で流された。「神も皇帝も法も守ってくれない。我々自身で守るしかない……」
 ロシアでは刑法に「合法的ジャーナリスト活動に対する妨害罪」が定められている。だが、情報公開保護団体のシモノフ所長によると93年以降ジャーナリストの犠牲者は309人に及ぶのに、適用された例はない。
 下院では「ジャーナリストを殺害すれば終身刑」との法案提出の動きもある。だが、厳罰化より事件の迷宮入りを減らす方が先との声は強い。
 プーチン前大統領(現首相)の政権下で反政府系のテレビ局はなくなった。政権に批判的なメディアも新聞ではノーバヤ・ガゼータ、雑誌では「ザ・ニュー・タイムス」、ラジオの「モスクワのこだま」などに限られている。
 欧米メディアでは、ロシアで相次ぐメディアへの暴力事件でしばしば政権の関与が取りざたされる。だが、当局による単純な言論封殺の構図だけではないとの見方が強い。
 高支持率を誇ったプーチン政権を引き継いだメドベージェフ大統領も就任以来、7割前後の支持率を維持する。社会の雰囲気は国への批判に非寛容になり、人びとは反政権派への攻撃で連帯し、悪いものと戦う政権を自分も支えているような幻想を抱く。暴力による言論封殺を支えているのはそうした国民の気分ではないか――。ノーバヤ・ガゼータのムラトフ編集長は「独立したメディアは国の最も重要な機関だ。それを守る民主主義がロシアには存在しないということだ」と話す。
 今回の事件から10日後、メドベージェフ大統領がムラトフ編集長と会談し、遺族への哀悼の意を伝えた。プーチン前大統領時代にはなかったことだ。編集長は会談を評価する一方、プーチン氏が今も強い力を保つ「2頭体制」下で「政権の性格が変わるかどうかは、2人以外には誰も分からない」とも言った。
 同紙は最近、記者の武器携帯を認めるよう求める手紙を内務省に送った。一方、同紙への論文掲載を断る外部筆者も出てきたという。武器で自衛するか、危ないことは書かないか――ロシアの言論はそこまで追い込まれている。